今年5月にオペラシティでのリサイタルを成功させ、10月のリビングルームカフェでのピアニスト藤川有樹との公演も早々に完売させた、ウィーン在住のテノール高島健一郎。ドイツでイベント参加のため久々の海外滞在中の筆者に、高島本人からお招きがあり、ウィーン郊外のメルビッシュで行われ、彼自身もキャスティングされているメルビッシュ湖上音楽祭を取材する機会を得たので、このスペースでその模様をレポートしながら、高島含め他の日本人キャストや主役の肉声もお届けする。
そもそも、メルビッシュ湖上音楽祭とは、いかなる音楽祭なのか。そのあたりから高島に話を聞いた。
「ドイツ語では『Seefestspiele Mörbisch』。オーストリア・ウィーンから車で1時間ほどのメルビッシュ・アム・ゼーにおいて、オペレッタやミュージカル一演目をひと夏の間、ノイジードル湖上の6000人収容の野外ステージで上演して、毎年約20万人も動員しているという、オーストリアでも指折りの人気音楽祭なんです。1957年に第1回が開催され、以来65年もの伝統をもっていますが、2020年はコロナのために延期となり、その年に予定をされていた『ウェストサイドストーリー』が21年に上演されました。今年、コロナ後2回目の夏は、有名なミュージカル『王様と私』が演目として決定となり、タイを舞台とした作品なので、僕も含めてウィーンに住んでいるアジア人歌手にもチャンスが広がったと言えるかもしれません。日本で学生の頃にDVDで見ていたメルビッシュ湖上音楽祭の舞台に立てた事は僕にとってとても大きな経験でした」(高島)
声がかかり、オーディションを受けて、晴れてキャストに選ばれたという高島。「オーディションの合格通知を総監督から直接電話で受けた時の興奮と喜びは、たぶん忘れられないと思います」と出演決定の瞬間を振り返る。
今回メルビッシュにて上演されたのは、『王様と私』。同音楽祭の過去の演目は、ウィーンのオペレッタが多く、本作品は今回が初めての上演であった。
「ウィーンやオーストリアでもグローバリズムの波があるのでしょうか、オペレッタ中心の音楽祭運営を少し方針転換して、現在の音楽監督となってからは、『ウェストサイドストーリー』もそうですが、ミュージカルを積極的にプログラムに加えることを考えているようです。来年は『マンマ・ミーア』の上演が決定しています。そんな中でも、『王様と私』は、「シャル・ウィ・ダンス」が代表曲で主人公がワルツを王様と躍るシーンがハイライト・シーンのひとつだったりするため、ウィーンのオペレッタの雰囲気に近いものがあるかもしれませんね。ヒロインの衣装やドレスも、華麗でウィーンの風格がブロードウェイ版よりもあるような気もしました」(高島)
衣装と言えば、高島がキャスティングされた僧侶の服装も、非常にリアル。タイの僧侶の雰囲気がかなり忠実に再現されており、何と言ってもワット・アルンがそこにあるんじゃないか?と思うくらいの、背景にある仏塔の再現度も伝統の厚みを感じるものだった。
僧侶役のキャストたち。中央が高島
「公演の規模や関わるスタッフの数などこれまでに経験した事のない大きなプロダクションだったのですが、それぞれのスタッフや出演者がプロフェッショナルに働く姿は僕の今後の活動にもとても大きな影響があると思います。またほぼ毎公演6000席のほとんどが埋まっている客席を見てヨーロッパに根付く芸術文化を肌で感じました。衣装もそうですが、毛髪がない僧侶の鬘のことひとつとってもそうで、豪華で大掛かりなセットと道具と、ディテールへのこだわりがフィクションをリアルなエンターテイメントとしてハイレベルなものにしているのを実感できました。これからもヨーロッパを中心に様々な経験を積んでいくと同時に、この経験を日本の方にも舞台を通して伝える事が出来たらとても幸せだと思っています。世界中の方に芸術とエンターテインメントの素晴らしさを伝えられるアーティストを目指してこれからも様々な事に挑戦していきたいという思いを新たにしました」(高島)
高島と同様に、今回王妃として日本人歌手・今井テリエン美範がキャスティングされた。今井は実のお子様ともどものキャスティング。今井にも、音楽祭を振り返ってコメントを寄せてもらった。
今井テリエン美範コメント
今回メルビッシュ湖上音楽祭のこの大きな舞台に立てたことは私にとって貴重で大きな経験となりました。 そして何より実の息子たちと同じ舞台を踏めたことはこの上ない幸せでした。 子供達を舞台の上に立たせることはストレスがなかったと言えば嘘になります。 このシーンはこうあるべきだという固定観念が先立ってしまい、それをしない子供達にイライラしてしまったからです。 でもある日のリハーサル、客観的にシーンを見て、子供達の自然な反応にそこに嘘がなく、それでこそ演じるということなのではないか、嘘を付かずにそこにいると言うことが舞台のシーンを成立させていると気付き、イライラはなくなりむしろ子供達から教えられることとなりました。 チャン王妃を演じている時にそこにいて嘘なく演じる、言葉や歌詞の意味を噛み締めて嘘なく伝える、知ってはいたけど、子供達に再確認させてもらい丁寧に演じることができ幸せを感じております。
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ここからは、一観客としてメルビッシュ湖上音楽祭を初めて訪れた筆者の目線から、簡単なレポートをお届けしたい。
メルビッシュ湖上音楽祭の会場は、ハンガリーとの国境地帯に広がるノイジードル湖畔にあり、ハンガリーとの国境線も目と鼻の先にある。湖は、中央ヨーロッパで二番目に大きいステップ湖(内陸湖、流入する河川はあるが、流れ出る河川の無い湖)で、湖水面積は 315平方キロメートルなので琵琶湖の半分くらい。ウィーンからは、国立歌劇場の横から出発するツアーバスで、1時間半ほどで会場まで到着できる、手近なリゾート地と言える場所である。
筆者が訪れた8月11日の公演日には、ツアーバスはざまざまなツアー会社のものが10台ほど来ていたが、これで本当に6000人も来るのか?と思っているうちに、自家用車が続々と駐車場を埋め尽くした。開演が近づくころには会場前のレストランは、メルビッシュ・ワインのグラスを片手に、おしゃれをした老若男女や家族連れでいっぱいとなり、ワインと食事を終えた人々からつぎつぎとアンフィシアター形態の野外劇場に吸い込まれていった。長いヴァカンスの一日をこの音楽祭で楽しむことに決めている、ウィーンっ子やハンガリー・ドイツの人々がたくさんいることが想像できる層の厚さであった。中に入ると、客席では、豪華な仏塔や王宮のセットを背景に記念写真を思い思いに撮影し、心から夏季休暇を楽しんでいる人々が満ち溢れていた。コロナ禍ではあるが、マスクをしている人はほぼなく、座席の規制や注意事項もない。
20時に開幕し、舞台の奥にヒロインの乗った船が登場すると、観客はもう『王様と私』の世界に入り込んで、魅了されていた。
22時30分に終演し夢から醒めると、多くの客はリゾートホテルや民宿などに自家用車で散っていくのだが、筆者のようなウィーン泊のツアー客は23時すぎにバスに乗りこみ、ウィーン国立歌劇場の真横に午前1時に到着するという、リゾート感とは程遠い行程となってしまうのは、致し方ないが残念なところだ。一度メルビッシュ・アム・ゼーのホテルで宿泊して、地場ワインを飲みながら、ゆっくりと滞在したいものである。
最後に王様役Kok-Hwa Lieから、SPICEのためにコメントをいただいた。
Kok-Hwa Lieコメント
この舞台で演じる事が出来て、私がどれほど恵まれていると感じているかは言葉では言い表せません。全てのスタッフと共演者に感謝の意を表します。私たちのチームは、きっとまたどこかで再会するでしょう。
文責:神山薫