昨年(2021年)、舞踊歴70周年を迎えた松山バレエ団プリマバレリーナ森下洋子が、今年(2022年)11月にフェスティバルホールの舞台でチャイコフスキー「くるみ割り人形」全幕を踊る。
昨年、やはりチャイコフスキーの三大バレエの一つ「白鳥の湖」の全幕を踊り、白鳥オデットと黒鳥オディールを見事に演じ分けた森下の踊りは、バレエには早く回り高く飛ぶといったアスリート的な技術の醍醐味とは別に、芸術で魅せる世界がある事を教えてくれた。
カーテンコールでの鳴り止まぬ拍手は、観客の気持ちのこもったとても温かいもので、コロナ禍にあって、文化芸術の価値を再認識させてくれる貴重な機会でもあった。
フェスティバルホールのホワイエで行なわれた記者発表会の後、森下洋子と松山バレエ団総代表 清水哲太郎に話を聞いた。
松山バレエ団『くるみ割り人形』記者発表会(21.9. フェスティバルホール) (C)H.isojima
―― 昨年の「白鳥の湖」感動しました。カーテンコールの拍手は凄かったですね。
清水哲太郎 大阪のお客様は熱く、毎回チカラを頂きます。「お前ら、よう頑張った!」と、すべて態度で表してくださいます(笑)。
森下洋子 ブラヴォーが禁じられていたからか、手拍子が出ましたね。大阪のお客様は、感じたことを素直に表現してくださるので、嬉しいです。
清水 松山バレエ団の本部を大阪に移住させようかと、本気で考えるほどです(笑)。それほどに、大阪のお客様の反応は特別で、フェスティバルホールの空気が温かいのです。11月が今から待ち遠しいです。
『白鳥の湖』(2021年 松山樹子追悼公演 より) 撮影:田中_聡(テス大阪)
『白鳥の湖』(2021年 松山樹子追悼公演 より) 撮影:田中_聡(テス大阪)
―― 大阪では3年振りとなる「くるみ割り人形」ですね。
清水 数あるバレエ作品の中でも、1、2を争う人気の演目です。バレエファンでなくてもチャイコフスキーの作った素晴らしい「くるみ割り人形」の音楽は、皆様よくご存じのはず。松山バレエ団では「くるみ割り人形」の楽曲だけでなく、チャイコフスキーの名曲を幅広く使用しています。
松山バレエ団プリマバレリーナ 森下洋子と松山バレエ団総代表 清水哲太郎 (C)H.isojima
森下 少女クララが、魔法で姿を変えられた醜いくるみ割り人形の中に秘められた魂の輝きに気付き、大切に愛することで人形の魔法を解き、元の王子の姿に戻し、王子との出会いと別れを通じて心の成長を遂げる物語です。初演から41年目を迎えますが、その時代、その世相を反映する形で毎年すこしづつ変化成長を繰り返しています。
『くるみ割り人形』人には 醜いくく映るくるみ割り人形、私に宝物に思えるのです 写真提供:松山バレエ団
『くるみ割り人形』 くるみ割り人形を抱きしめるクララ 写真提供:松山バレエ団
清水 大阪は3年振りとなりますが、その間にコロナが流行り、ウクライナとロシアの戦争が起こりました。共にバレエが盛んなことも有ってか、ウクライナとロシアの戦争の事をよく聞かれますが、どちらの国にも沢山の友達や仲間がいます。
森下 連日、厳しい戦況が報道されますが、皆はどうしているのか。心配の種が尽きる事はありません。
清水 純粋で心の優しいクララは自宅でパーティを開いて、皆を励まそうと招待の手紙を書きます。身近に亡くなった人を、マジパンや棒人形にしてアンティークオルゴールに飾ることで、記憶を蘇らせたい。舞台は19世紀のヨーロッパですが、お客様と阪神淡路大震災や東日本大震災、大雨や台風などで亡くなった人達の思い、その人たちを大切に思う気持ちを分かち合えたらと思います。そして、人に対する思い遣りや感謝の気持ち、生きていることの喜びや人を愛する事の素晴らしさなどを、この作品を通して感じて頂けると嬉しいです。
『くるみ割り人形』1幕パーティーのシーン(以前の公演より) 写真提供:松山バレエ団
『くるみ割り人形』1幕パーティーのシーン(以前の公演より) 写真提供:松山バレエ団
『くるみ割り人形』1幕パーティーのシーン(以前の公演より) 写真提供:松山バレエ団
―― お話を聞いていると、昨年公演をされた「白鳥の湖」のオデットを思い浮かべます。オデットも純粋で心が優しく、強い信念を持つ女性だと仰っていました。
清水 その通りです。オデットは強い信念を持ち正義感に溢れ、一人になっても絶対に引かず、悪に立ち向かう強さを持った女性です。黒鳥オディールはなんと、オデットに強い憧れを持つほどです。
―― そうお聞きしましたが、そんなハナシは聞いたことがありません(笑)。
清水 その発想はどこにも無いと思います。松山バレエ団のオリジナルです(笑)。一般的には、オディールは魔王の手下で、悪の分身、悪役です。しかし松山バレエ団では、オディールはオデットに憧れを持っているように描いています。実はオディールも魔王ロットバルトに連れ去られてきた、元は高貴な娘という設定なのです。クララとオデットの共通点が見えてくると思います。
『白鳥の湖』白鳥オデットを踊る森下洋子(21.7 オーチャードホール) 写真提供:松山バレエ団
『白鳥の湖』黒鳥オディールを踊る森下洋子(21.7 オーチャードホール) 写真提供:松山バレエ団
―― 森下さんは、昨年お話をうかがった時、自分はまだまだ未熟だと仰いました。
森下 はい、未熟で不器用です。しかし毎日踊っていると、出来なかったことが、少しずつ出来るようになる感覚は今でもあります。
まだまだ未熟で不器用だと思っています (C)H.isojima
―― 凄いことですね。今回も「くるみ割り人形」を全幕、一人でクララを踊られるのでしょうか。
森下 はい、ありがたいことに踊らせて頂きます。とても幸せな事ですが、共にプロダクション・ノートを読み合わせ、共に稽古をしている仲間と一緒にステージに立てることも幸せな事です。
清水 仲間の存在は大切です。我々のやっているバレエは孤高の彫刻家とは違います。集団で演じる芸術ですので、仲間は必要です。松山バレエ団ではダンサーとは言わず、アーチストと呼ぶのですが、アーチストには目先の極小の目標と、手の届かない極大な目標が両方必要です。その両方を持ち、バランスを取りながら日々を過ごすことが大切です。
『くるみ割り人形』全幕通して一人でクララを踊らせていただきます 写真提供:松山バレエ団
―― バレエの世界も国際コンクールで優秀な成績を残し、技術に秀でた若手がどんどん世に出ています。そういった状況はどのようにご覧になられていますか。
清水 素晴らしいことだと思います。しかし大切なのは、バレエを通して何をやりたいのかだと思います。技術で人に驚いて貰いたいというだけでは、少し違うように思います。肉体に任せてアスリートのように踊るというのは、我々もやって来ました。技術を超えてなお、どこまでチャレンジしていけるのか。芸術としての成熟度や奥深さと云ったものを、森下の踊りを通して伝えていければと思います。
芸術としての成熟度や奥深さを、森下の踊りを通して伝えていきたい (C)H.isojima
―― 先ごろ亡くなられた京セラ名誉会長の稲盛和夫さんは、お二人にとって師と呼ぶべき存在だったとお聞きしました。
清水 そうですね。全世界を回る中で、自身の教師たる存在は居ないものか、そう思ってずっと探してきたのですが、モノの真理を教えてくださる素晴らしい先生がこんなに近い所にいらっしゃったと、初めてお会いした時は嬉しかったですね。稲盛先生の教えは、単純明快。哲学用語とは無縁の世界でした。
森下 バレエの公演にもお越し頂き、こんなに素晴らしい世界があるのかと、感動してくださいました。道を極めるという意味で、私の考えに通じるものが有ると仰って頂きました。経営と文化芸術を伝えて行く事は、共通点があります。公演にもお越しいただき、あたたかく見守っていただきました。
京セラ名誉会長の稲盛和夫さんには、大変お世話になりました (C)H.isojima
―― 色々とお話を頂きまして、ありがとうございます。森下さん、最後に「SPICE」の読者にメッセージをお願いします。
森下 松山バレエ団にとって大切な「くるみ割り人形」を、11月にフェスティバルホールで上演させていただくことを大変嬉しく思っています。今回も全幕を通して、少女クララを感謝の気持ちを込めて踊らせていただきます。大好きなフェスティバルホールで皆様のご来場をお待ちしています。
松山バレエ団の『くるみ割り人形』にご期待ください (C)H.isojima
―― 森下さん、清水さん、長時間ありがとうございました。
取材・文=磯島浩彰