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大統領選で最有力候補とされている李在明氏(右)と尹錫悦前大統領(左)大統領選で最有力候補とされている李在明氏(右)と尹錫悦前大統領(左)

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6月3日の韓国大統領選挙を控え、韓国に関する日本メディアの報道やSNS上での言及が増えている。 

その中で目につくのは「親日」や「反日」といった言葉だ。民主化後初めてとなる非常戒厳令を出し罷免された尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領を「親日」と呼び、政権交代で「反日に戻るか」といった見出しの記事もある。 

しかし、こうした言説は、韓国社会への理解を妨げたり、日本による植民地支配の歴史を軽視したりすることに繋がってはいないだろうか。日本では「日本に友好的」といった意味合いで使われる「親日」も、韓国では植民地期に日本統治に加担した人物を指し、批判的に使われる。

「親日」や「反日」という言葉の問題点とは何か。日本に対して「親」か「反」かで二分する言説が見えにくくさせている、韓国の民主化の歴史やデモの役割とは。韓国の民主化運動を研究してきた、東京大学東洋文化研究所教授の真鍋祐子さんに聞いた。

「親日か反日か」で韓国を語ること

──韓国政権について「親日」か「反日」かで報じる日本のメディアが多くありますが、どう見ていますか。

「親日」「反日」は、日本中心的で稚拙な二元論にすぎず、韓国という国への理解を妨げる言葉です。

2012年の大統領選の時、あるニュース番組で、文在寅(ムン・ジェイン)は「反日」で朴槿恵(パク・クネ)は「友好的」だとフリップにはっきりと書かれていたのを見て唖然としました。責任意識を持って発信してきた韓国専門の研究者は多くいます。しかし、テレビなどの影響力の大きなメディアで朝鮮半島の専門家でもない人がコメントする状況が長く続いてきたことに、非常に歯痒い思いでいます。

日韓関係を、日本の植民地支配が引き起こした歴史問題を抜きに語ることはできません。そこには一人一人の被害者、犠牲者がおり、国家間の折衝だけでどうこうできる問題ではありません。報道においても「外交」や「国際政治」だけではなく、人権の視点で考えることが重要です。

──日韓関係の報道で、日本の朝鮮植民地支配への言及が十分ではないケースも多いです。

日本の加害の歴史と、それに伴う責任を軽んじたり否定したりすること自体が根治されるべきです。

日本軍「慰安婦」問題や、徴用工問題で被害に遭われた人が、過去の清算を求めることや、政府がそれを支援することがなぜ「反日」なのでしょうか。実際に起こったことをなかったことにしてほしくない、自身の名誉を回復してほしいと賠償を求めるのは、人権の観点から当たり前の要求です。 

日本からすれば「韓国人はいつまでも歴史問題を蒸し返している」「対日強硬路線だ」と見えているのかもしれませんが、被害者がなぜそのように言うのか、韓国側の歴史的、社会的文脈に立って捉える、複眼的なものの見方が報道にも求められます。

帝国主義を批判する「反日」。「嫌韓」との明確な違い

──韓国の市民の間で「親日」や「反日」という言葉は使われているのでしょうか?

韓国では「親日」とは、日本統治時代に大日本帝国に対して非常に親和的で、戦後もそこで得た利益を既得権としている人や、その社会構造を肯定的に考える人のことを指します。日本のメディアでは、「日本に対して友好的」「歴史問題を水に流してくれる、日本政府にとって都合の良い政権」を「親日」と呼んでいるようですが、韓国では、植民地支配の歴史をふまえ、明確に定義された言葉として定着しています。

──「反日」はどうですか?

「反日」という言葉自体は存在しますが、私はあまり聞いたことはありません。「反日」あるいは「抗日」が使われるとしたら、「親日」の対義語的に、大日本帝国への同調者や既得権者、あるいは帝国主義的な思考そのものへの反対や抵抗を意味する場合です。

韓国人の多くは、国家・政府と個人をはっきりと分別しています。「かつて朝鮮半島を植民地支配した大日本帝国」や、戦後も加害事実を隠して、なかったことにしようとする政権に対してはもちろん批判的ではあるけれど、日本人ひとりひとりは別であるという認識がほとんどです。

──日本で使われる「嫌韓」という言葉とは、まったく別物ですね。

「嫌韓」は反知性的で乱暴なくくりです。「嫌韓」と明らかに異なるのは、韓国で「反日」「抗日」という言葉が使われる時は、「好き・嫌い」という感情に基づくものではないということです。非常に論理的で、帝国主義や植民地主義批判に基づくものであって、その矛先は日本だけではなく、韓国人にも向きます。

たとえば、ソウルの日本大使館の前にある「平和の少女像」を作った彫刻家夫婦は、少女像は日本への抗議であると同時に、「慰安婦」にさせられた女性たちが戦後に帰国したあと、どれだけ差別され、苦痛を受けてきたか、「韓国自身の反省」も込めて作ったのだとインタビューではっきりと言及しています。

「反日デモ」と煽るYouTuberたち

4月4日、尹氏の罷免を求めてきた市民たちは、韓国憲法裁判所付近に集まった。罷免の判決を受けた時には、旗を振るなどして喜びを表現した4月4日、尹氏の罷免を求めてきた市民たちは、韓国憲法裁判所付近に集まった。罷免の判決を受けた時には、旗を振るなどして喜びを表現した

──悪質なYouTuberも存在感を強めています。尹前大統領の弾劾デモを「反日デモ」と呼び、根拠のないデマを繰り返し日本の視聴者に向けて発信するYouTuberもいます。

最近、まさにYouTubeを通じたデマの感染力の強さを実感する出来事がありました。

徴用工や日本軍「慰安婦」の問題をめぐる日本の戦争責任を追及し、被害者支援に熱心に取り組んでいる方と話す機会があったのですが、尹前大統領を支持しており、「日韓問題を前進させた人だから、今罷免したらまずいのではないか」と話していたのです。非常戒厳令について情報収集するためにYouTubeを見たそうです。この方なりに、支援活動が少しでも進展するためには日韓政府が足並みを揃えなくてはならないと、真剣に考えてのことだというのは痛いほどわかります。

一方で、人一倍歴史問題に関心があり日本で支援活動をしていても、「対・日本」という部分だけを見て、韓国の近現代史に対する知識が十分でないと「親日・反日」の二元論の罠に簡単に絡め取られてしまう恐ろしさを感じました。

日本からは「日韓関係に熱心」だと見える大統領でも、韓国国内でいい政治をやっているとは限りません。むしろ、歴史的に見れば自国民には強権的、弾圧的であった場合がほとんどです。

──YouTubeの動画では、尹前大統領は「親日」で、その弾劾を求めるデモは「反日」だとされています。100万回以上再生された動画もあり、影響力の強さを感じます。

こうした単純化にも、「親日」「反日」という言葉を無責任に使ってきた日本のメディアの影響があると思います。 

そもそも動画配信者や、それを信じる視聴者も、戒厳令について十分に知らないので、「反日デモ」などという認識になるのでしょう。「戒厳令宣布」と聞いて韓国でまっさきに思い出されるのは、1980年5月、戒厳令下で全斗煥(チョン・ドゥファン)が率いる軍部が力を増す中、軍政に抗議した学生や市民を、軍が戦車を出動して160人以上を虐殺した「光州事件」です。

当時の光州は封鎖され、報道も統制下だったため、死者数はもっと多いという説もあります。事件直後から「暴動」「反乱」などと不当なレッテルが貼られましたが、民主化後に真相究明が進み、今では韓国の民主化運動の土台となる事件として知られています。若い人たちも、学校で学ぶ上に親世代からも話を聞き、戒厳令下では軍が行政や司法を掌握し、国民の言論の自由が制限されることを肌身で分かっています。

尹は、そうした民主化運動で人々がようやく勝ち取った直接選挙制度で大統領に選ばれたにもかかわらず、戒厳令で自ら民主主義を破壊しようとした。だからこそ国民は怒りと呆れを感じ、デモに立ったのです。

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1980年の光州で抗議集会に参加する人々1980年の光州で抗議集会に参加する人々

「弔い」としてのデモ

──民主化運動でも今回の戒厳令でも、韓国の近現代史の重要な局面ではデモが起きています。韓国の民主化において、デモはどのような役割があるのでしょうか?

韓国の民主化デモには「弔い」の意味合いがあります。80年代の民主化運動では多くの血が流れました。87年の民主化のきっかけは、1月に起きたソウル大の学生・朴鍾哲(パク・ジョンチョル)さんの警察による拷問死で、市民の反独裁デモが全国に拡大しました。そして、6月民主抗争で、今度は延世大学の李韓烈(イ・ハニョル)さんが、警官が撃った催涙弾が後頭部に直撃し命を落としました。

人々はその弔い、追悼としてデモに立ちました。光州事件をはじめとする70〜80年代の民主化運動における犠牲者の親からは、到底受け入れられない子どもの死を経験し、我が子に変わって自ら民主化を叫ぶ闘士が生まれたという話を聞きました。

韓国には今も国家保安法があります。1948年に当時の李承晩(イ・スンマン)大統領が、自政権への反対勢力を取り締まるために、大日本帝国期の治安維持法を下敷きに作ったと言われています。70年代後半〜80年代は国家保安法に基づき、政権が反対勢力に「アカ」のレッテルを貼って自白の強要や拷問を行い、死に至らしめる事案が相次ぎました。

政権によって違いはありますが、今も国家保安法がある限り名前と顔を明かしてデモに立つこと自体に大きなリスクがあると考えられます。それでもデモに行く人が多いのは、死者の犠牲の上に民主化したのだから、恥ずかしくない生き方をしようという意識があるからだと思います。

「韓国は大変そう」? 対岸の火事ではない

──2018年頃から、民主化運動を描いた韓国映画が日本でも公開され、ノーベル文学賞を受賞した作家の韓江(ハン・ガン)さんも、光州事件や済州島4・3事件(48年に南北分断に反対し蜂起した島民が軍警に虐殺された事件)をテーマにしています。韓国の近現代史を知る一つのきっかけにもなったように思いますが、どう感じていますか。

「タクシー運転手」や「1987、ある闘いの真実」「ソウルの春」などをきっかけに民主化運動に興味を持った方は多くいます。それは良いことですが、(民主化された)87年で止まっていないだろうかという疑問もあります。

日本では韓国の民主化は87年を境に一気に進んだと思われがちですが、大統領直接選挙、地方自治の実現、言論の自由などの制度的な基準が整っただけのことで、それを運用する政治家や政治文化は、一朝一夕に変わるものではありません。

戒厳令も、尹だけではなく朴槿恵も、自身の罷免を求めるデモの鎮圧のために宣布する計画を企てていた疑惑が退陣後に浮上しました。そうした民主主義が覆されかねない状況は今も残っています。韓国の学者たちは、民主化を「制度化・内面化」という二つの次元で捉え、運用する側の思考まで民主化されていると言えるのかと常に厳しい目を向けてきました。

──日韓の国交が正常化して今年で60年です。歴史をふまえ、日本は韓国とどう向き合うことができるでしょうか。

韓国の歴史を「外国の歴史」と対象化・他者化するのではなく、日本の近現代史の視座から見つめ直すことが重要です。

韓国社会で長いこと民主化が実現せず、今でも戒厳令が宣布される状況にあるのは、南北分断による社会の歪みがあるからです。尹も宣布時に「北の脅威から守るため」と言っていましたが、今後も朝鮮戦争を終結させない限りは、再び韓国で非常戒厳が出され、権力者が民衆を抑え込み、意のままに政治を行うことができてしまいます。

こうした事態を日本からみると「韓国は大変そう」だと思うかもしれませんが、日本とまるで関係がない対岸の火事の問題ではありません。

南北分断は、日本の植民地支配からの解放後、米ソ冷戦を背景にして起き、その後も「北の脅威」を理由にした日米韓の協力関係が分断体制を支えてきました。韓国では約26年に及ぶ軍事独裁政治で国民の受難が続いた一方で、日本は朝鮮戦争による特需を機に高度経済成長を遂げた。こうした歴史をふまえると、私たちには道義的責任があると考えます。 

今、韓国政治の中心にいるのは、若い頃に民主化運動に参加した60年前後生まれの世代で、日本の政治家は、そうした人たちの歴史的経験を知る努力を怠っていると思います。今は保守になった人もいますが、戒厳令解除のために塀をよじ登って国会に突入した議員にも、「民主闘争の闘士」と言われた人が多かったようです。それを知ろうともせず、いつまでも宗主国意識を引きずっていては、日韓関係の改善は進まないと思います。

(取材・文=若田悠希/ハフポスト日本版)

【真鍋祐子さん】

1963年生まれ。東京大学教授。専門は朝鮮研究、社会学。著書に「増補 光州事件で読む現代韓国」、訳書に「韓国人権紀行 私たちには記憶すべきことがある」など。

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