「被爆後の市街地に立つ少女」国平幸男撮影。現在、広島平和記念資料館の本館入り口に常設展示。「このような記録は、私たちの写真が永遠に最後であるように」ーー。
広島への原爆投下から80年が経過する今夏、東京都写真美術館(恵比寿)で被爆80年企画展「ヒロシマ1945」が開催されている。
中国新聞社と朝日新聞社、毎日新聞社、中国放送、共同通信社が主催し、原爆投下後の広島や、被爆した人々の記録写真約160点と映像2点を展示している。
写真のキャプションには、当時、被爆直後の広島で撮影に当たったカメラマンたちの悲しみや絶望、葛藤、そして不戦と反核への強い思いが綴られている。
被爆80年企画展「ヒロシマ1945」「相手には通じない謝罪をしながらシャッターを切った」
東京都写真美術館の地下1階で開催されている「ヒロシマ1945」には連日、若い世代を含む多くの来場者が訪れている。
展示は、原爆投下直後の様子から1945年末までの5カ月を時系列で並べ、来場者が追体験できるような仕様になっている。
この企画展の特徴の一つとして、当時、被爆直後の広島を歩き、被爆した人々や街の様子を写真で記録した撮影者の「声」や「思い」もキャプションで綴った点が挙げられる。
《仕事とはいえ申し訳ない気持ちで写させてもらった》
《いま私はみなさんの死の苦しみにあるその姿を写真に撮るがゆるしてくださいと、相手には通じない謝罪をしながらシャッターを切った》
《原爆の非情と実態を見せつけられた思いになる…親と子を写すカメラも非情である》
カメラマンたちは、重い火傷を負った被爆者や死者、孤児らが溢れる街を歩き、苦悩や葛藤を抱きながらに惨状を記録した。
中国新聞社・松重美人氏は「涙でファインダーがくもっていたのをいまも脳裏のどこかに、はっきりと記憶している」としている。
会場内の写真の撮影者たちは既に鬼籍に入っているが、膨大な関連資料を掘り起こしてきた取材記者が、生前に撮影者が証言した映像や手記などを手がかりにたどり、撮影時の思いなども展示にした。
「御幸橋西詰めの惨状(2枚目)」松重美人撮影連合軍から原爆写真の提出命令。自宅に隠して守り抜いた
展示されている資料の多くは、米軍による写真の提出要求や旧日本軍による文書焼却に撮影者があらがい、守った貴重な写真だ。展示ではその説明もなされている。
朝日新聞大阪本社の写真記者・宮武甫氏が撮影した「広島赤十字病院でやけどの治療を受ける少年」もその一つだ。
朝日新聞によると、連合軍から原爆写真の提出命令が出て、写真部の上司からネガフィルムの焼却を指示されたが、撮影者の宮武氏は自宅の縁の下に隠して記録を守り抜いたという。
展示の最後には、「このような記録は、私たちの写真が永遠に最後であるように」という林重男氏の言葉が掲示されている。
主催社の一社である朝日新聞は、写真展について「世界各地で紛争が起こり、核の脅威が改めて迫るいま、平和への思いを新たにする機会」だとしている。
「広島赤十字病院でやけどの治療を受ける少年」宮武甫撮影<開催概要>
会期|2025年5月31日―8月17日
会場|東京都目黒区三田1-13-3恵比寿ガーデンプレイス内 東京都写真美術館 地下1階展示室
主催|中国新聞社 朝日新聞社 毎日新聞社 中国放送 共同通信社
共催|東京都写真美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)
開館時間|10:00-18:00(木・金は20:00まで) ※8月14日・15日は21:00まで開館
休館日|毎週月曜日(月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)
料金|一般 800円/大学生以下無料/65歳以上 500円
【開催中の展覧会】 https://t.co/7NPxej4d7vpic.twitter.com/kYegA4XX6m
— 東京都写真美術館 (@topmuseum) June 23, 2025


