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告白した高校の同級生に、最後に会いに行った彼の気持ち
彼のお母さんが繋いでくれた友人の2人目は、まさに彼が高3の時に告白したチンペイこと、松本さんでした。
Oさんの家を出たあと、栄広小路に向かい、スターバックスへ。私が学生時代に告白した相手でもないのに、なぜか私自身がとても緊張していました。
「チワッす」という感じで、ラフなパーカーを着て登場した松本さんは、とにかくフツーの“隣の兄ちゃん”という印象でした。
松本さん2人は高校1年で同じクラスになり、浪人時代も同じ予備校に通い、松本さんは一浪して名古屋大学に入り、今は地元で勤務医をしているとのことでした。
松本さんから見た彼は、とにかく「陽キャ」で、いつも仲間の中心にいる人気者。だけど、みんなをパワープレイで引っ張るようなリーダーでもなく、優しく大きな心を持っている友人。いつも髪型も決めていて、黒縁メガネをかけてオシャレだったので、自分も彼からワックスやジェルの使い方を習った一人です、と笑っていました。仲間うちで「ゲイゲイ」と呼ばれていたことも覚えていて、「やめろよ」と言いながらも完全否定はせず、すべてを受け止めている印象だったそうです。
「恋愛感情を告白されたんですよね?」と聞いてみました。
「そうです。ただ、自分は女性が好きなので、そのまま正直に伝えました。それでも、友達だよな、と2人で確認したと思います」
そう、少し照れくさそうに、答えてくれました。告白以降も、お互いに関係が変わることなく、予備校に入った後も、ランチを食べたり、遊びに行ったり、自習室で一緒に勉強したりしていたそうです。
「ゲイであることで悩んでいる様子はなかったけれど、親にはまだ言ってないと聞いていたし、今振り返ると、やはり悩んでいたのかもしれません」
「予備校では女子との接点も増えて、彼も女子とも仲良くなっていたし、同じ中高出身の友だちとの話で『ゲイゲイ』という話が出ると、『おい!』とガチで怒って、共学や女子校出身の人たちの前では、その話はするなという雰囲気だったので、バイセクシュアルなのかもと思ったこともありました」
そう言って、ポケットから一枚の写真を出してくれました。

当時の写真で唯一大切に残している、みんなでボウリングをしてストライクをとって盛り上がっているもの。手元の写真から松本さんの顔を見上げると、うっすらと目に涙が滲んでいる気がしました。
大学生になってからは、彼が名古屋に帰省する時にOさんたちと一緒に年に1、2回会う程度だったとのこと。インカレサークルに入って色々と企画している話を聞いて、大学に入っても相変わらず陽キャ、チャラ男やんと笑っていたそうです。
2015年8月中旬、彼から松本さんにLINEで久しぶりの連絡がありました。
名古屋に帰省中に、「名古屋っぽいものが食べたい」と言われて、あんかけパスタを食べに行き、セントラルパークのカフェへ。とても疲れていそうな様子だったので聞いたら、「うつ病みたいになっていて薬をもらっている」と彼が答えたそうです。
松本さんは、彼が高校時代から明るい性格だけど感情の起伏があり、ブレーキではなくアクセルを踏むタイプだったことを思い出し、医学部に通う友人として、きちんとコントロールしながらやれるといいね、と声をかけたとのこと。あとは、ロースクールと国試、お互いに試験を頑張ろうと励まし合い、他愛のない思い出話をしたのが、最後の時間でした。
亡くなったことを聞いた瞬間、あの時、悩んでいたことをもっと察知できたら、友人として、医療従事者として、自分にできたことがもっとあったのではないか、と思いがぐるぐると巡り、ご実家を訪れてご両親に会った時には、とにかく涙が止まらなかったそうです。
お母さんによると、松本さんは、それ以降も毎夏に実家に顔を出し続けてくれたとのこと。ご両親は、松本さんが結婚されると聞いて、自分の人生を歩んで欲しいと、今後は実家に訪問することもお断りしたとのことでした。
話を終えて、御礼をして、松本さんの背中を見送りながら、彼が精神的に厳しい状態で、松本さんに会いたいと思った気持ちが、ふわっと感じられた気がしました。
松本さんの木訥とした語り口が持つあたたかさと、自分のことを何も偽らず気にせずにいられる空気感が、そこには確かに存在していました。
ともに法曹を目指した大学の友人は、何を感じているのか
3人目の同級生は、彼が通った中央大学で同期だったXさん。2025年の年明けに、東京・丸の内にあるカフェでお会いしました。Xさんは、中央大学の「炎の塔」という老舗の法律系活動団体で彼と一緒になったとのことでした。
この団体は、法曹を目指す学生たちが中心となり、日々の勉強会を開いたり、討論会やOB会などのイベントを企画したり、かなり忙しい時間を過ごすそうで、Xさん曰く、彼は真面目で明るい性格を活かして1年生の頃からすでにリーダー的な存在として活躍していたそうです。
「炎の塔」では当時厳しいルールなどもあったことから、Xさん自身は途中で団体を辞め、学部で中央大学を卒業し、一般企業に就職して勤務した後、司法試験に合格し、現在は都内の法律事務所で働いています。
Xさんから見た彼の印象は、とにかく勉強や活動に熱心で、弁護士になることが心からの目標のような人。学生時代に恋愛の話などを深く交わした記憶はほぼないとのことでした。
Xさんが団体を辞めた後は日々の付き合いはなくなったものの、キャンパスですれ違うたびに声をかけてもらったようです。彼は、Xさんが団体を辞めたことに心を痛め、いつでもXさんが戻ってこられるように、運営のルールを緩和するなど尽力してくれていたとのことでした。
卒業後は一般企業に就職したこともあり、アウティング事件があった当時は、彼との連絡は少なくなっていたそうですが、Xさんは「炎の塔」時代の仲間と今でも交流があり、彼との思い出や事件についてはよく思いを馳せているようです。
実際にお会いしたXさんは、ご自身の経験や気持ちを本当に丁寧に語ってくださいました。当時の学部生や一橋大学ロースクールの同級生が、いま何を感じているのか深く知りたい思いもありましたが、伝聞や又聞き、推測は良くないことをXさんとも確認し、彼の友人については掘り下げた質問はしないことにしました。
「最後に、これだけは、お伝えしたいです」
Xさんが、帰り際におっしゃったのは、「炎の塔」時代からの仲間は誰一人、あの出来事のことを忘れておらず、一人ひとりの人生に大きなものとして残っていて、人生、職業、生き方に大きく影響を与えているのではないかということ。Xさんにとっても、働きながら法曹を志す原動力になったとのことでした。
また、今でこそアウティング行為はいけないこととされるようになりましたが、その概念を含めた性的マイノリティへの理解がまだまだ広がっていない社会において、彼の周囲の人たちは、直接的に間接的に経験したことを、それぞれの方法で、咀嚼し、意味づけ、一生懸命向き合っている状態だと思うということでした。
Xさんは、書籍自体がアウティングをしてしまった人を含めて、一生懸命向き合っている誰かを非難、批判するような内容ではないようにして欲しいという思いを語ってくださいました。
私からも、今回の書籍が特定の誰かを糾弾することを目指したものではなく、著者たちや社会が出来事をどのように受け止め、どのように変化してきたか、どのような未来と希望を抱いているかを綴るものであることをお伝えしました。
そして、いつになるのか実現するかもわからないですが、一橋大学ロースクールの同級生の方にも機会があればお会いしてお話をしたい気持ちがあることも最後に添えて、カフェをあとにしました。
※第5話は8月28日に掲載予定です。
(編集:笹川かおり)
『一橋大学アウティング事件がつむいだ変化と希望 一〇年の軌跡』編著:松中権(サウザンブックス社)『一橋大学アウティング事件がつむいだ変化と希望 一〇年の軌跡』(編著:松中権/サウザンブックス社)を彼の命日の8月24日に出版しました。LGBTQ+活動団体代表、大学教員、ジェンダー/セクシュアリティ研究者、市民団体職員、ライター、新聞記者など、8名の著者がそれぞれの視点で綴った10年の歴史と変化と希望、次世代へのメッセージを1冊にまとめました。


