韓国映画「君と私」韓国で2014年4月に起きた「セウォル号沈没事故」を題材に、女子高校生2人の恋を描いた映画「君と私」が、11月14日から日本でも公開中だ。
韓国社会が共有する「トラウマ」ながら、事故の記憶が薄れ始めている今。事故への直接的な描写はないが、2人が過ごすかけがえのない時間を通じて、不条理な死や残された者の痛みを改めて思い出させる作品で、韓国の「青龍映画賞」で最優秀脚本賞と新人監督賞に選ばれるなど、高く評価された。
「惨事を映画的なスペクタクルのために利用したくなかった」というチョ・ヒョンチョル監督に、インタビューで詳しく聞いた。
クィアの恋愛「特別な視線を向けられることのない自然なもの」
チョ・ヒョンチョルさんは俳優としても活躍しており、韓国軍隊のいじめや暴力を描いたNetflixドラマ「D.P. ー脱走兵追跡官ー」で脱走兵を演じ、百想芸術大賞で男性助演賞を受賞。監督としては「君と私」が長編デビュー作だ。
監督のチョ・ヒョンチョルさん。「D.P.」のほか、映画「建築学概論」「コインロッカーの女」「サムジンカンパニー1995」などにも出演2014年4月16日、済州(チェジュ)に向かう途上で大型旅客船・セウォル号が沈没し、死者・行方不明者は304人に上った。そのうち250人は修学旅行中の高校2年生、11人が教員だった。
この事故が韓国社会に大きな傷跡を残したのは、背景にはいくつもの「人災」があったとされるからだ。運航会社による安全対策の不備や、当時のパク・クネ政権の初動対応の遅れ。大手メディアの「全員救助」などの重大な誤報も相次ぎ、混乱が広がった。11年が経った今も真相は究明されていない。
本作は、こうした事故を背景に、高校生のセミ(パク・ヘスさん)とハウン(キム・シウンさん)のラブストーリーが紡がれる。
修学旅行の前日、教室で不思議な夢を見て胸騒ぎを感じた主人公セミは、足を骨折して入院中の友人ハウンに告白しようと病院へと向かう。何としてでもハウンを修学旅行に連れて行きたいセミと、煮え切らない態度のハウン。セミは、ハウンが恋人がいるのを隠しているのではないかと嫉妬心や焦りを募らせ、喧嘩になってしまう。
主人公のセミ。修学旅行前日に、不思議な夢を見る脚本に7年かけたチョ監督は、女子高校生を主人公にするにあたり「自分が知らないことを描くには不安があった」といい、YouTubeでVLOGを見たり、予備校で教師として生徒と接したりして、高校生の会話や内面を細やかに観察していった。
「セミとハウンの会話や空気感がこの映画のすべてとも言えます。先入観を排して、平面的な女子高生像ではなく、一人一人を躍動感をもって描きたいと思いました」
チョ監督は、韓国での公開時、女性同士の恋愛を描いた理由を問われた際に「男女の恋愛映画を見る時に『なぜ男女なのか』と疑問をもたないように、自分にとっては彼女たちの恋愛が自然で普通なことだから」と答えた。その発言にはどんな思いがあったのだろうか。
「クィアというアイデンティティを持った2人で、現実世界では困難がたくさんあると思います。クィアの人生は、辛さや痛み、複雑さを伴うことが多いですが、私はせめてこの映画の中では、セミとハウンの恋愛が特別な視線を向けられることのない自然なものであり、2人に幸せでいてほしかった。メディアの取材で、同性同士の恋愛を描く時にだけ、その理由を求める質問も、今後は出なくなればいいと思っています」
クィアをめぐる韓国社会や、映画・ドラマなどのエンタメ産業の実情については、こうも語った。
「『君と私』は予算がかなり少なかったのもあり、私が思い描いた通りに撮ることができましたが、韓国社会、そして他の国でも、ジェンダーやセクシュアリティというテーマは怒りや攻撃の対象にされやすい時代になっています。韓国でクィアの物語を多くの資本のもとで描ける機会は少ないです。
こうしたスクリーンの外で起きていることをみると、複雑な感情を抱きます。映画祭で上映した際に、大邱(テグ)で暮らすクィアの活動家の方が、『クィアであることで悩み自ら死を選んだ友人がいたが、この映画を見てとても心を慰められた』と言ってくれたのが忘れられません」

犠牲になった子どもたち
事故で亡くなった学生たちが通っていた檀園(ダンウォン)高校がある安山(アンサン)市は、チョ監督が幼い頃暮らしていた故郷でもある。当時は、事故に対してどこかで「距離」を感じていたが、制作を通して気持ちは変化していったという。
「事故が起きた時は、自分からはかけ離れたもの、どこか現実とは思えない気持ちで受け止めてしまっていました。しかしその後、人生や死への見方が大きく変わる個人的な出来事がありました。
脚本を書く過程で、追悼式をはじめ、セウォル号が沈没した珍島(チンド)や、引き揚げられた船体が保管されている木浦(モクポ)を訪れ、犠牲になった子どもの母親たちが演じている演劇も観に行きました。犠牲になった一人一人の子どもたちを知り、その人生を想像してみることで、私のこれまでの人生とつながっていく感覚がありました」
《以下、ネタバレには配慮していますが、一部映画の具体的な描写について言及しています》
「君と私」で特徴的なのは、水や鏡、テーブルの端に置かれたグラスなどのモチーフを使い、セウォル号沈没事故を間接的に想起させる表現が多く取り入れられているところだ。「惨事を映画的なスペクタクルのために利用したくなかった」という思いがあり、事故をどう表現するかは深く考え抜いたという。
「事故には直接言及しないと決めていました。一方で、一見関係のないような出来事もつながっているのではないかと、他の火災事故や遊覧船事故など、悲劇的な惨事で亡くなった人たちのこともよく調べました。また、ソウルの再開発で捨て犬が増え、北漢山(プッカンサン)に野良犬として集まり捕獲が行われているというニュースにも関心を持ち、迷い犬のストーリーも取り入れました」

「分別」により疎外される人がいる
事故の悲惨さを知る観客は、学生たちが翌日に事故で亡くなるであろうことがわかった上で鑑賞する。セミとハウンの幸せな日々が続いてほしいと願う一方で、死を予感させる表現や、残された者の大きな喪失感、無力感を思わせる言葉が積み重なり、多くの命が奪われたという現実が突きつけられる。
眩しく柔らかな春の陽光をいかした撮影方法は、事故が起きた4月を彷彿とさせると同時に、幻想的なイメージも作り上げている。映画は後半になるにつれ、セミやハウンが実際に体験したことなのか、あるいは夢や想像の中の出来事なのか、その境界が曖昧になっていく。こうした演出にした理由について尋ねると、チョ監督は「分別」という言葉をもとに語った。
「人は生きていると『分別』というものを持つようになりますよね。過去と今と未来。男と女や、ジェンダーという考え方。夢と現実。生と死。それらを『常識的な判断』として別のものとして考えるようになります。
しかし、その分別が人によっては苦痛になるかもしれないし、分別がついたことによって否定される人、疎外される人、排除される人、本当はそこにいるのに、見えないものにされてしまう人がいます。『君と私』は、その境界を曖昧に描くことで、新しい観念を得るという体験をしてほしい、そうして得た新しい観念が、人生を生きる力や傷ついた心の癒しになるのではないかと思いました」

一見シンプルな「君と私」というタイトルにも、そうした思いを込めた。夢の中で、草原に倒れているハウンを見たセミは、その顔は父や母にも、学校の先生にも、クラスの友達にも似ていて、最後には「だんだん自分に見えてきた」と言う。映画を最後まで見ると、「君と私」は単にセミとハウンを指すだけの言葉ではないことが伝わってくる。
「君と私の分別を消してしまいたい、その分別が消えたところに──少し変わった言葉になりますが──『君と私の間には境界すらないのだ』という結末に辿り着くような映画にしたかったのです」
(取材・文=若田悠希/ハフポスト)
◾️作品情報
「君と私」
11月14日(金)より、渋谷ホワイトシネクイントほか全国順次公開
出演:パク・ヘス、キム・シウン、オ・ウリ、キル・へヨン、パク・ジョンミン
監督:チョ・ヒョンチョル
脚本:チョ・ヒョンチョル、チョン・ミヨン
撮影:DQM
音楽:OHHYUK/オヒョク
配給:パルコ
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