この初夏、広島の平和記念公園を高校の修学旅行ぶりに訪れた。地元の若者や海外からの観光客たちのざわめきの中で、違う空気をまとった一つの碑が目に留まった。
「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」と刻まれたその石は、公園内の一角にひっそりと建っている。花は手向けられているものの、人々が行き交う中心部から少し離れているからか、足を止める人は多くない。
在日韓国・朝鮮人を祀るこの碑の裏には、「戦時中およそ20万人の朝鮮人が広島に定住し、うち約1割、約2万人が被爆した」と記されている。原爆の犠牲となった朝鮮半島の出身者たちは、日本の植民地支配のもとで強制的に動員され、工場や軍需施設・炭鉱などで働かされていた。
光が当てられてこなかった人たちの存在を、この碑は静かに語っていた。
帰りの新幹線で窓の外に流れる景色を眺めながら、人目につきにくい場所に置かれた石碑のことを思い返し、ある疑問が浮かんだ。
この国の人々が祈る「平和」の中に、在日コリアンら旧植民地出身の人たちは含まれているのだろうか。
広島の平和記念公園に建てられた「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」ウトロ地区で見た「強靭さの記録」
10月、京都・宇治市のウトロ平和祈念館を訪れた時、その疑問は一層強まった。
ウトロ地区は、かつて旧日本陸軍の飛行場建設に動員された朝鮮人労働者たちが、飯場跡地に廃材で家などを建てて集落を形成してきた地域だ。戦後、地権者から土地の明け渡しを迫られる中、地元の住民や韓国政府とも協力しながら裁判で居住権を取り返し、数世代に渡って定着してきた歴史がある。
今も同館の広場では、ウトロの朝鮮人と日本人支援者が焼肉をしたり、アート・フェスティバルや伝統舞踊・音楽イベントを開催したりして交流している。そうして互いを知る機会を確保することで、戦争から生まれたウトロという地域を守り抜いた人々の姿や、共に生きる意味を伝えている。
この場所で私は、ヘイトクライム(憎悪犯罪 ※1)が残した傷痕を見た。
ウトロ地区では2021年、空き家に火をつけられる放火事件が起きた。被告の男は当時、裁判で「韓国人に敵対感情を持っていた」などと供述していた。また、同館が近く開館予定だと知り、展示予定の資料を燃やせば社会から注目を浴びることができると考えた、とも述べていた。
このヘイトクライムによって、住宅など7棟が焼けた。筆者が平和祈念館の副館長から聞いた話では、オモニ(お母さん)たちは事件当時、「ウトロ広場で焼肉を一緒に食べていたら、こんなことにはならなかっただろうね…自ら人生を棒に振っていることがわからないのか」と、こぼしていたという。
約40点の資料が焼かれたものの、同館は2022年4月に開館した。入り口に展示されている朝鮮人労働者の飯場跡には、放火によって黒く焼け焦げた住居を写した写真や、居住権を取り戻すため、地域住民と手を取り合って運動を進めたオモニや支援者たちの写真、そして「法律は本来人間を守るもの」「自分たちは人道で闘う」といった言葉が並んでいた。
焼け跡をあえて写真に残した平和祈念館の展示は、ヘイトを向けられても互いの手を離さずに生きる人々の「強靭さの記録」だ。
◇
私が同館を訪れたその日、高市早苗氏が自民党総裁に選出された。「日本初、女性の首相誕生へ」と沸き立つ報道が目についたが、私の脳裏には、過去の国会で、戦争責任をめぐって彼女が発した言葉が蘇った。
高市氏は1995年の衆院外務委員会で、当時の駐米大使が「(第二次世界大戦に至った歴史について)日本国民全体の反省があるから戦後の平和憲法に対する国民の熱心な支持がある。また、新憲法の下で政治的自由、民主主義体制の支持があるのも反省があるからこそ。日本国民は反省をきちんと持ち続けなければならない」と発言したとして、「日本国民全体の反省があると決めつけておられるのですけれども、少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、(過去の大戦について)反省なんかしておりませんし、反省を求められる言われもないと思っております」と述べていた。
植民地支配と侵略戦争を起こし、数えきれない命を奪ったこの国で、加害の歴史を直視しようともしない政治家が「国の顔」となった。そして就任から1カ月も経たないうちに、「台湾有事」をめぐって戦争を誘発しかねない発言をした人物が、この国の舵を握っている。
※1 ヘイトクライムとは、人種・出身国・宗教・ジェンダー・性的指向・障害など、特定の属性への偏見や憎悪、敵意を動機として行われる犯罪行為を指す。殺人・暴行・放火・器物損壊・脅迫などが該当し、個人だけではなく集団をも標的とする点に特徴がある。
ウトロ平和祈念館の入り口と、当時の朝鮮人労働者が使っていた飯場を移築・再現した野外展示
ウトロ平和祈念館で野外展示されている、放火によって黒く焼け焦げた住居を写した写真と、燃え残った流し台韓国人原爆犠牲者慰霊碑のある広島や京都のウトロ地区など、在日コリアンと深く関わる土地に足を運ぶ中で、私は「戦後」という言葉に違和感を持つようになった。
私が知る限りだが、この「戦後」という言葉を、旧植民地出身の在日コリアンの多くは使っていない。なぜか。
1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効によって、日本は連合国の占領から形式的に「独立」した。だが、植民地支配下で一方的に大日本帝国の一員とされていた朝鮮半島や台湾の出身者たちはこの日、やはり一方的に国籍を剥奪され、「日本人」ではなく「外国人」であると宣告された。直後、日本政府は旧朝鮮人軍人・軍属を「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の対象から除外している。
つまりこの日は「主権回復の日」であると同時に、旧植民地出身の人たちにとっては「権利喪失の日」でもあり、「戦後」は訪れないままだったのだ(※2)。「戦後」を迎えてもなお、日本政府によって再び切り捨てられた人々がいる。
※2 終戦直後の1945年12月、日本政府は衆議院議員選挙法を改正し、それまで帝国臣民として参政権を持っていた朝鮮・台湾出身者を、選挙権・被選挙権の対象から排除した。
今までも、これからも戦争に「依存」しようとする国で
この国は、本当に「戦争」を終えたのだろうか。
私の曽祖母(現在105歳)は、植民地支配下の朝鮮半島から生活苦を理由に日本へ渡ってきた人だった。そして私のもう一方の祖先は、戦中の生活苦から南米へ渡った日系移民である。
曽祖父の家族は戦前、建築家として公共事業を受注して生計を立てていた。日本が戦争に突き進む中、政府と地元行政からの支払いが滞るようになる。一家は生きるために日本を離れ、実際には国家主導の口減らし・棄民政策の一環であった「南米移住」政策を通じて、縁もゆかりもない国へと移住する選択をした。
曽祖父と曽祖母のどちらも、国家の意思決定者が起こした戦争に強く影響され、可能性や本当の平和を求めて別の国へ出て行く決断に至った過去がある。移住後も、戦争や差別、迫害など多くの苦難を乗り越え、3世代に渡ってマイノリティとして力強く生きてきた。そうした強さと同時に、「そう生きざるを得なかった」という脆さを抱えた等身大の人間だ。
私は日本国籍を持つ「日本人」である一方で、「日系南米人」でもあり、「在日コリアン」でもある。
しかし、私が在日コリアンのルーツを知ったのは、わずか7年前だ。自らと同じように、私が日本で差別や「他者化される眼差し」を受けることを恐れた家族は、私が成人した後も、在日コリアンのルーツについては伏せ続けた。
4世代が経った今もなお、他者化の眼差しから完全には解放されていない。結果として、私は本来受け継ぐべき文化・言語・歴史を学び、アイデンティティを構築する機会を奪われた。そして私自身、どのルーツにも完全には属せないと感じることがある。
今なお朝鮮学校は高校無償化から排除され、在日コリアンはいまだに地方参政権すら認められていない。何世代にも渡ってこの国に根を下ろして生きてきたにもかかわらず、自分の生活を左右する政治の場で、投票による意思表示さえ許されていないのだ。
参院選以降、「日本人ファースト」のスローガンのもと、政治家たちがデマとレイシズムを使い、市民でありながら代表者を選ぶことのできない在日コリアンらエスニック・マイノリティへの攻撃を票獲得の道具として利用している。
さらにここ数年、埼玉県の川口市や蕨市に暮らす在日クルド人へのヘイトスピーチが後を絶たない。クルド人の子どもを狙った盗撮や「万引きをしている」といったデマのSNSでの拡散、「皆殺しにする」などのクルド人団体への脅迫。クルド人の小学生が、日本人男性に暴力をふるわれたという報道もある。
謂れのない差別を恐れ、親が子にルーツを明かせない。政治家が票を得るためにデマを流し、外国人排斥を声高に叫ぶ。外国ルーツの子どもたちが、住んでいる地域で市民からの暴力にさらされる。
そうした国が、「戦争を終えた平和な国」と言えるだろうか。
在日コリアンのルーツについて、まだ知らされていなかった頃の筆者=2018年撮影、本人提供ウトロ地区の住宅を黒焦げにした、ヘイトクライム。
「南京事件は捏造だ」などと、旧植民地における加害の過去をなかったことにしようと、歴史否定の言動を繰り返したり、好戦的な発言をしたりする政治家たち。
教育への公的支出が国際的に低水準のまま、社会保障の予算も削られる一方で、「国を守る」のスローガンのもとに関連経費を含め9.9兆円に膨らみ続ける軍事費(※3)。
私にとってはどの風景も、「戦争がまだ終わっていない国」であり、「戦争加害に依存」しようとする国であることを物語る証だ。
政治家たちが、私たち一人一人と地続きである歴史を否定し、なかったことにするならば、いずれ同じ罪が繰り返されてしまう。
加害の過去に「自分ごと」として向き合う想像力を持つこと。そして、戦争加害を正当化しようとするあらゆる言葉や状況に危機感を持ち、反対の意思を表明することこそが、この社会で無自覚に続き、そして知らずに加担してきてしまった「戦争状態」を止める力になる。
※3 高市政権は、2027年度には関連予算を含めて防衛費を11兆円規模へと急増させる方針を掲げている。
【著者プロフィール】
日本在住、複数ルーツをもつ、3.5世の30歳。社会や自身に連なる複数性・交差性に目を向けてモノを書くオートエスノグラファー。
(執筆=碧詞(Aoshi/Pyeoksa)、編集=國﨑万智)



