「東日本大震災から10年後の福島」と明示しながら、事実や科学的根拠に沿っていない情報を複数含む映画が今年、海外の有名国際映画祭で上映されていたことがハフポスト日本版の取材で分かった。
映画には「母親を被曝で亡くした」「子どもを産めない」といった情報が盛り込まれているが、日本の大手新聞社が公開前、この映画を無批判に紹介していたことも判明した。
福島を題材とする作品を巡っては、漫画「美味しんぼ」に2014年、主人公が鼻血を出す場面が掲載され、福島県や地元自治体などから抗議の声があがった経緯がある。
専門家はハフポスト日本版の取材に対し、「国内外で誤った認識が広がり、差別や偏見、人権問題につながる危険性がある」と指摘している。
映画「こんな事があった」(2025年9月26日撮影、東京・新宿のケイズシネマで)被曝で死亡、子どもを産めない……
映画は、「こんな事があった」(監督・脚本:松井良彦)。2025年9月13日から、日本各地の映画館で上映されている。
また、オランダの「ロッテルダム国際映画祭」(2026年1月29日〜2月8日)でも上映された。映画関係者によると、賞を競うコンペティション部門ではなく、ハーバー部門での招待作品だったという。
筆者(相本)は2025年9月26日、東京・新宿のケイズシネマで本作を確認し、その後、関係者への取材を続けてきた。
物語の舞台は、2021年夏の福島。主人公・広瀬アキラは、10年前の「原発事故による被曝」で母親を亡くしたという設定だ。これは映画の公式ウェブサイトにも明記されている。
原発職員だった父は除染作業員となり、家族は離れ離れになるが、アキラはサーフショップを営む夫婦宅に身を寄せることになる。
閉ざしていた心を徐々に開いていくアキラ。しかし、原発事故による傷は完全には癒えず、周囲の登場人物たちを蝕んでいく——というストーリーだ。
作中には、“奇形の植物や昆虫”が出てくる。
また別のシーンでは、アキラの友人の父・山本篤人が、自分たちが暮らす地域で心筋梗塞が起きているという趣旨の発言をするなど、被曝と心筋梗塞を結びつけるような描写も登場する。
このほか、アキラを居候させる小池夫婦に関連し、原発事故で「子どもを産めないからちょうどいいと言われた」といったセリフが語られる。
さらに、「汚れた海だから誰も来ない」「帰ったら行けない所に帰らされた」といった会話や、鮮魚売り場で東北産の魚を手に取らない場面も描かれている。
終盤には、サーフショップ店員・樋口ユウジが駐車場で倒れ、マスク越しに鼻血のような染みが映し出される。この場面については、「ユウジも原発に殺された」という発言が出てくる。
映画の公式ウェブサイトには「母親を被曝で亡くし」と書いてあった被曝による健康影響は確認されていない
SNS上では、映画を観た人たちから、「知らされていない現実、知ろうとしてこなかった現実がそこにあった」「現地の方々に起こっている“こんな事”で済まない深刻な出来事」といったコメントがみられた。
しかし、現実の福島では、原発事故による放射線被曝そのものが住民に健康被害をもたらした、という事例は確認されていない。
福島県が実施した外部被曝線量を推計する基本調査では、回答者約46万7000人のうち99.8%が5ミリシーベルト未満で、最大でも25ミリシーベルトだったことが分かっている。
ICRP(国際放射線防護委員会)では、大人も子どもも含めた集団で、がん死亡の確率が100ミリシーベルト当たり0.5%増加するとして、防護を考えることとしている。
妊産婦を対象とした調査でも、早産率、低出生体重児率、先天奇形・先天異常発生率は、全国調査や一般に報告されているデータと変わりがないことが確認されている。
国際機関の見解も同様だ。
放射線の影響を科学的・中立的な立場から評価する「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)は、2021年に発表した報告書の中で、原発事故時の放射線被曝量は「健康への影響が出るレベルではなかった」と結論づけている。
つまり、原発事故の被曝によって「亡くなった」「心筋梗塞になった」「子どもを産めない」といったことは、現在の科学的知見に反していると言える。
比較的短時間に100mSvの線量を受けるとがんなどのリスクが高まるが、福島県の基本調査では99.8%が5mSv未満、最大でも25mSvだったことが分かっている。大手紙が無批判に取り上げる
福島の人々は原発事故後、こうした根拠のない情報によって、結婚や出産など人生の様々な場面で差別や偏見を受けてきた。
ハフポスト日本版の取材でも、「白血病になって死んでしまうんでしょ」「福島に戻ると子どもは産めなくなる」と言われた女性や、「福島出身はクレイジー」「(海は)汚染水なんでしょ」と言われたサーファーがいることが分かっている。
一方、こうした背景があるにもかかわらず、日経新聞は2025年9月9日、「松井良彦監督18年ぶり新作『こんな事があった』 原発事故後の福島撮る」と題した記事を配信した。
記事は編集委員の署名で、監督へのインタビューをもとに、映画を制作した動機や作品のあらすじなどを紹介。しかし、科学的知見に反する情報が含まれている点については触れられていなかった。
ハフポスト日本版は2月26日、日経新聞に対し、「福島への差別や偏見に繋がる恐れのある映画を取り上げた理由」などについて質問した。
同社広報室からは3月4日に返信があり、「映画監督ら関係者に取材し、記事化しました。ご意見は承りました」と回答したが、それ以上の具体的な説明はなかった。
映画監督にも取材を申し込み
また、ハフポスト日本版は1月19日、映画「こんな事があった」の配給会社「イーチタイム」(東京都)を通じ、松井良彦監督にも取材を申し込んだ。
作中に登場する科学的根拠に基づかない情報の具体例を示した上で、「なぜこのような表現に至ったのか」「どのような問題意識があったのか」などについて説明を求めた。
しかし、配給会社の担当者からは、松井監督の意向を確認した結果、「事前に原稿を確認できない」との理由で取材には応じられない、という回答が返ってきた。
原発事故から月日が経った今も、福島を巡る根拠のない情報が国内外で発信される現実。
福島県風評・風化戦略室の担当者は、ハフポスト日本版の取材に対し、「福島県としては正しい情報を発信し、福島に関する誤った情報が広まらないよう努めていきたい」と話す。
一方で、海外で広がる“誤った福島像”への対応については、県単独での対処には限界があるとして、「復興庁など関係機関と連携しながら対応していきたい」と語った。
映画では「汚れた海だから誰も来ない」と描かれていたが、「サーフィンの聖地」と言われる海岸では海水浴客やサーファーで賑わっていた(2024年8月14日撮影、福島県南相馬市で)専門家「差別や偏見を助長する危険性」
福島を題材にした作品を巡っては、過去にも議論が起きている。
2014年、「週刊ビッグコミックスピリッツ」に掲載された漫画「美味しんぼ」に、東京電力福島第一原発を訪れた主人公らが鼻血を出す場面などが描かれ、福島県が抗議するなど社会問題になった。
地元自治体の双葉町も当時、「原因不明の鼻血などの症状を訴える町民が大勢いるという事実はない」「福島県民への差別が助長されると強く危惧」と訴えた。
こうした作品について、福島を研究する社会学者で東京大学大学院情報学環の開沼博准教授は、「メディア不信を助長するだけでなく、社会的に誤った認識を広げ、差別や偏見、人権問題を引き起こす危険性をはらんでいる」と指摘する。
福島の人々は原発事故後、科学的事実を積み重ねながら誤解や偏見と闘ってきたといい、「このような作品はこれまでの福島の努力を軽んじ、嘲笑しているようにも映る」と語った。
映画が国際映画祭で上映されたことについては、「福島への嘲笑や揶揄、誤ったイメージが海外で広がる可能性は十分にある」と懸念を示した。
また、本来は根拠のない情報を指摘し、差別に抗う役割を担う新聞が、映画を無批判に紹介していた点にも触れ、「周辺の協力者も含めて、責任を問われる状態にある」と述べた。
一方、原発事故からの15年間、風評の「加害側」の責任が十分に問われてこなかった現実もある。
開沼准教授は、「この状態を放置すれば、同じことが何度も繰り返されてしまう」と話し、正確な情報を共有した上で、誤りを正していく文化を育てる重要性についても強調した。
(取材・執筆:相本啓太)
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