2026年7月の歌舞伎座で、松本幸四郎が主演する古典歌舞伎『時今也桔梗旗揚(ときはいま ききょうのはたあげ)』。本能寺の変をモチーフにした、時代物の名作だ。明智光秀を主人公に、織田信長に反旗を翻すまでを描く。
幸四郎は、時代劇『鬼平犯科帳』シリーズの撮影の合間をぬって、光秀のビジュアル撮影に臨んだ。その模様を、本作への意気込みとともにお届けする。
京都撮影所
■本能寺の変の前日譚、『馬盥の光秀』
本作は、江戸時代の初演当時は、全5幕の芝居だった。そのうちの「饗応(きょうおう)」、「馬盥(ばだらい)」、「愛宕山(あたごやま)」が、現在に受け継がれている。このたびは、「馬盥」から「愛宕山」までの上演。
主人公の武智光秀(モデルは明智光秀)は、主君・小田春永(モデルは織田信長)から執拗な虐めを受けていた。
ある日、勅使の饗応役を任された光秀は、贅を尽くして準備をしたが、春永の不興をかう。そして春永は蘭丸に、光秀を鉄扇で打つよう命じた。光秀は額に傷を負った上、蟄居を命じられる(「饗応」の場)。
「馬盥」のかつら。眉間の傷は、色・形が異なるものを複数用意。
後日、眉間の傷もまだ生々しい中、光秀は、春永に対面を許される。ここからが7月に上演される名場面、「馬盥」の場だ。
幸四郎のビジュアル撮影も、「馬盥」の拵えで行われた。紫紺の裃と着付には、明智家の桔梗の紋。銀糸の刺繍には立体感があり、光の射し具合によりふと目をひかれる。
蛍光灯のもとでは、舞台の印象よりも紫紺の青みが強く感じられた。
■ 鬼の平蔵から、馬盥の光秀へ
場所は、京都の撮影所。
『鬼平犯科帳』の“鬼平”、長谷川平蔵のふん装をする幸四郎は、カメラが回っていない時も、ただいるだけで皆の気持ちを温かくするような、懐の深い包容力を感じさせた。
『鬼平犯科帳』長谷川平蔵役の幸四郎。本所の銕役の市川染五郎は、「馬盥」で森蘭丸をつとめる。
その頃ビジュアル撮影チームは、撮影所にある試写室の一角で『時今也桔梗旗揚』の準備を進める。
フォトグラファーは、映像ディレクター・クリエイティブディレクターとして数々のメジャー・アーティストのアートワークを手掛ける永石勝氏。歌舞伎公演での実績も多く、2025年に『鬼平犯科帳』が歌舞伎化された際の特別ビジュアルも、永石の撮影によるもの。
ほどなくして幸四郎が、着流しの鬼平から裃姿の光秀へ装いをあらため、カメラの前に入った。端正な顔立ちはそのままだが、白塗りの化粧のせいか、すでに光秀の心なのか。近寄りがたい緊張感がはりつめていた。
■春永のパワハラ、光秀の我慢
この演目は、『馬盥の光秀』の通称で親しまれている。
“馬盥”とは、馬の足や体を洗うために使われた、大きなたらいのこと。春永は、馬盥を盃にして、光秀に酒をすすめる場面があり、この名前がついた。
燕手(えんで)のかつら。頭のトップから後ろへ、燕の翼のように流れる毛が特徴。
「馬盥」の場で、春永のパワハラは続く。
春永は皆の前で、ある木箱を披露する。その中には、切り髪が入っていた。かつて光秀が、生活に苦労していた時期に、急な客をもてなすために、妻が髪を売ってお金を工面した時のもの。これをネタに、春永は光秀を辱めるのだった。
箱の中には、小道具の切り髪が入っていた。
理不尽な侮辱に耐え続ける光秀。その場はなんとか堪えるが、皆が去り、一人残された時に見せる表情は……。
向かって左側の脇に、切り髪を抱える。
フォトグラファーから「顎を引いて、にらみつけて」「ゆっくりと目線を動かして」と声がかかる。それに応えて、じりじりと動く。
ストロボが続けて発光し、何テイクか撮ったある時、スタッフ一同から同時に、静かに声が漏れた。身体の動きはわずかで、表情も大きくは変わらなかった。それでも光秀の内に押し込められた感情が、グラッと動くような瞬間だった。
■ 初役で挑む、代々にゆかりの演目
鬼平から光秀へ。ビジュアル撮影を終えた幸四郎に、話を聞いた。
「扮装が変わると、気持ちも変わるものです。鬼平の支度にも最低1時間はかかり、光秀も同じくらいかけて。その拵えの時間が、気持ちを切り替える大事な時間になっています」
幸四郎の曾祖父、初代中村吉右衛門ゆかりの役だ。祖父、父も勤め、叔父の二代目中村吉右衛門も光秀を当たり役とした。
また1808年の初演時、武智光秀を演じて大評判をとったのが、五代目松本幸四郎だった。
高い鼻と左眉にあるほくろは、五代目幸四郎の特徴。豊国『清書七伊呂波 五月雨武智光秀』 1856(安政3)年 国立国会図書館デジタルコレクション
幸四郎にとって所縁の深い演目だが、このたびが初役となる。
「やっとチャンスがきた、と感じます。まず、光秀のこの扮装に憧れました。衣裳は播磨屋の叔父(二代目吉右衛門)が、実際の舞台で使っていたものです。『馬盥』に続く『愛宕山』の場では、さらに衣裳がかわって白装束に。光秀は辞世の句を詠み……となります」
この役に限ったことではないとしつつ「気持ちを作ることを大切にしたい」という。同時に、「気持ちを切らさないことが何より難しい」とも語る。
「光秀にとって、眉間を割られたのは、ついこの間の話です。しかしその経緯や、それまでの春永との関係性を、劇中で言葉にしません。それでも芝居として成立させるために、どれだけ気持ちを作れるか。かっこいい言い方をするなら、肚(はら)のある芝居ができるか。肚で成立する芝居であり、それができなければ成立しない芝居です。父、祖父、曾祖父がまさに得意とするところでもあり、だからこそ『馬盥の光秀』は、高麗屋にとって代表的な役の一つになったのではと思います」
名取春仙《初代中村吉右衛門 馬盥 光秀》1925(大正14)年 所蔵:The Art Institute of Chicago
歌舞伎座での上演は、7月2日から26日まで。光秀の極限状態の心情を、毎日、自分の中に創りだす。
「当然僕は、演じる上で話の筋は分かっています。だからこそ馬盥に酒を注がれた時に本気で驚き、飲めと言われた瞬間、いかに想定外だと感じられるか。歌舞伎である以上、形を綺麗にお見せすることは大事ですが、どれだけ気持ちを燃やしてお見せできるかを考えたいです」
■ あの五代目幸四郎と、あの南北の傑作だからこそ
歌舞伎座では10年ぶりの上演だ。
「『馬盥の光秀』と言えば、播磨屋の叔父を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。私自身、あの光秀に憧れてきました。ただ、この演目が次の世代にも残るとしたら。あるいは、どう残していくかを考えた時、“江戸時代に、五代目幸四郎と四世鶴屋南北が創った”ことが、手がかりになるように思います」
撮影:永石勝 歌舞伎座「七月大歌舞伎」『時今也桔梗旗揚』特別ビジュアル 2026(令和8)年
五代目松本幸四郎は、仁木弾正をはじめ、凄みと格を備えた悪人像を確立し、後世に大きな影響を与えている。四世鶴屋南北は「大南北」と称される狂言作者。人間の因縁因果を、凄惨かつエキセントリックな趣向で構成し、五代目幸四郎にも多くの作品を当て書きした。
「歌舞伎は大らかな芝居だ、とも言われます。たしかにこの作品にも、時間の流れなど大らかな部分はある。ただ、あの南北と五代目幸四郎がタッグを組み、江戸の芝居小屋で初演した作品です。単に大らかなだけの芝居だったとは思えません。当時のお客さんは、『春永は、ここで光秀を呼ぶの!?』『光秀は、 耐えられるの?』など、心理劇としての緊張感に、ドキドキしながらご覧になったのではないでしょうか」
撮影:永石勝 歌舞伎座「七月大歌舞伎」『時今也桔梗旗揚』特別ビジュアル 2026(令和8)年
「『馬盥の光秀』に、南北と五代目幸四郎が組んだからこその凄味が、今もどこかに残っているはず。そこを打ち出すことができれば、演劇として次の世代にも存在する意味のある作品になると思います」
幸四郎が光秀となる『時今也桔梗旗揚』は、歌舞伎座「七月大歌舞伎」にて、7月2日(木)~26日(日)までの上演。7月は、新歌舞伎の名作『御浜御殿綱豊卿』、世話物の人気作『め組の喧嘩』にも出演。また特別先行版『鬼平犯科帳 本所の銕/密告』は、7月10日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国劇場公開。
『馬盥』の見どころは、「(平蔵の妻、久栄役の)仙道敦子さんが本当に素敵で」と答える光秀の拵えの幸四郎。
取材・文・撮影(クレジットのないもの):塚田史香