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「福島はおいしい場所」「何をやっても許される」。あるメガソーラー事業者は、“福島を狙う理由”を聞かれ、こう語ったーー。

福島県内各地のメガソーラーを巡る問題を95分に凝縮したドキュメンタリー映画「劇場版 かげる針路」(福島テレビ制作)が、7月31日から東京・池袋で上映される。

東京電力福島第一原発事故後、福島県は「2040年を目処に再エネ100%」という目標を掲げた。原発に頼らず、その”針路”を進むことこそが「福島復興の姿だ」とされてきた。

しかし、急拡大したメガソーラーは、景観破壊や土砂流出といった問題を各地で引き起こし、地元住民が声を上げる事態にまで発展した。「復興の象徴」だったはずの福島の太陽光は、いつしか“狙いやすい標的”に変わっていた。

「理想に掲げた”針路”に、いま影が差し始めている」「これは、福島だけが抱え込まなければならない問題なのか」

ハフポスト日本版は、そんな問いを丹念に描いた井上明監督(福島テレビ報道部専任部長)にインタビュー。制作の背景や作品に込めた思いを聞いた。

【動画】「劇場版 かげる針路」本編冒頭映像

福島テレビ報道部専任部長の井上明さん。「劇場版 かげる針路」の監督も務めた。福島テレビ報道部専任部長の井上明さん。「劇場版 かげる針路」の監督も務めた。

――タイトル「かげる針路」に込めた思いについて教えてください。

原発事故後、福島県では「復興の象徴」として太陽光が各地に敷き詰められ、その発電能力は全国でもトップクラスとなっています。

県内の再生可能エネルギーの導入量も、2024年度にエネルギー需要の約6割に達しており、「再エネ先駆けの地」という理想に近づきつつあると言えます。

しかし、メガソーラーによって生まれた軋轢が確認され始め、住民の反対運動や行政の規制強化も顕著になってきました。

原発事故の教訓から理想に掲げた「針路」に、影が差し始めているーー。そのような思いから、「かげる針路」というタイトルにしました。

――取材のきっかけは。

2024年春頃、福島テレビの「お天気カメラ」に、吾妻連峰の一角が“ぽっかりとくり抜かれた”かのような光景が映り込んでいることに気づきました。

調べてみると、メガソーラーが建設されようとしていることが分かりました。

ちょうど同じ頃、県道に土砂が流れ込む事案が起きていて、住民らの間で「災害が起きるのでは」という懸念が高まっていました。

そこでまず、現場や地元の様子を取材しようと動き始めたのがきっかけです。

太陽光はこれまで、県内でもポジティブに捉えられてきたと思いますが、取材を進めるうちに、県内の至る所にメガソーラーがあり、思った以上に問題が起きていることが分かってきました。

吾妻連峰の一角が“くり抜かれた”かのような光景。先達山のメガソーラーによる「光害」吾妻連峰の一角が“くり抜かれた”かのような光景。先達山のメガソーラーによる「光害」

――映画では、吾妻連峰のほか、浪江町や西郷村のメガソーラーの事例が紹介されています。まず浪江町については、どのような意図で取材したのですか。

県内最大級のメガソーラーがある浪江町は、原発事故による避難指示が一時、町内全域に出た地域です。

メガソーラーがある谷津田地区の避難指示は解除されていますが、帰還した住民は少なく、米作りも思うようにできていない。震災前の暮らしとは程遠い現実の中で、地元がようやくたどり着いた一つの答えが、メガソーラーでした。

取材で印象的だったのは、同地区の方々が口を揃えて、「みんな賛成だった」「反対する⼈はいなかった」と語っていたことです。荒廃していく風景を見るよりかは、自分たちの土地を有効活用してほしいという思いがあったようです。

実際に現場を見ると、自宅や墓を取り囲むように無数のパネルが並ぶ光景に目を奪われます。それでも住民の方々は、メガソーラーを「復興の出発点」として捉えている。そこを映画では描きたいと思いました。

ただ、この場所はかつて田んぼが広がっていた土地です。「この時期は田植えの光景が広がっていた」と話す人もいて、寂しさもあるのだと感じています。

浪江町のメガソーラー。墓を取り囲むように太陽光パネルが設置されている浪江町のメガソーラー。墓を取り囲むように太陽光パネルが設置されている

――西郷村のケースはいかがでしょう。メガソーラーの現場に作業員を派遣していた会社社長が、「工期優先、利益優先」と証言していたのは強烈でした。

ほとんどの事業者は法令を遵守し、メガソーラーを運営していますが、一部には悪質なケースもある。その象徴が西郷村でした。

この地域は、かつて水害を経験した場所です。それにもかかわらず、工事開始から1年後の2020年夏、現場から大量の土砂が流れ込む事案が発生し、地元住民は「こんな杜撰なやり方はない」と憤っていました。

また、福島県に情報公開請求をしたところ、事業者が防災工事より太陽光パネルの設置を優先していたことが分かりました。県は適切な工事を求めていましたが、その約束は事業者に反故にされていました。

現場に作業員を派遣していた会社社長からも、「現場で防災のことなんて一切気にされていない」「工期優先、利益優先」という証言を得ることができました。

この証言は、情報公開請求で見えてきた「パネルの設置を優先」という実態を、さらに裏付けるものになったと思います。

結局、業者は何回も土砂流出を繰り返し、工期を延期し、住民に不安を与え続けた末に、倒産してしまいました。完成の目処が立たないまま、今は未完成のメガソーラーだけが残されています。

行政の指導に従うことを前提に許可が下りている以上、それがうまくいかなかったときにどうすればいいのか、そんな現状を問いかけています。

西郷村のメガソーラーの工事現場。今は未完成のメガソーラーだけが残されているという西郷村のメガソーラーの工事現場。今は未完成のメガソーラーだけが残されているという

――福島市のケースでは、吾妻連峰の一角を占める「先達山」のメガソーラー問題が取り上げられていました。地元住民の反対の声が「大きな声」にかき消される現実が描かれています。

福島市の人たちにとって、先達山を含む吾妻連峰は、四季の暮らしと共にある特別な場所です。

桜越しの山、雪解けとともに山肌に浮かび上がる「雪ウサギ」。その時期になると地元では田植えが始まることから、「種まきウサギ」とも呼ばれています。

季節の移ろいを告げる、心の拠り所のような山ーー。その景観がメガソーラーによって壊れていくことは、住民の心に重くのしかかったはずです。

一部の住民は「どんどん景観が悪くなっていって。本当にとんでもないことが起きている」と話していました。

しかし、事業者側はその喪失感に向き合うというより、「いかに合法的か」を強調し、理解を求めようとしてきました。

事業者側の弁護士が住民らに語った「私の山ではないので、景色が変わったとしても残念だなと思うくらい」といった言葉には、その温度差が如実に現れています。

議論の土台そのものが、うまく噛み合わないまま進んでいったのが、福島市のケースでした。

地元の人々に親しまれている吾妻連峰。緑が削られている。左奥は吾妻小富士地元の人々に親しまれている吾妻連峰。緑が削られている。左奥は吾妻小富士

――先達山を注視する会代表・松谷基和さんの涙も印象的でした。

「知らないって悔しいんですよ」。松谷さんは取材でこう話しながら、涙を流していました。

この言葉の背景には、原発事故の記憶があります。県民たちは「二度と同じ思いをしたくない」という思いを胸に、知識を増やしながら福島を支えてきました。

松谷さんが語った悔しさには、そうした県民の経験と重なる部分があります。

そして、この涙や言葉は、私たちメディアに責任の重さを突きつけました。山の緑が刈り取られるまで、メガソーラーの計画に気づけなかったのですから。

松谷さんも地元メディアについて、「問題意識を持って報じてほしい」と語っていました。本当にその通りです。

結果、緑が刈り取られただけでなく、メガソーラーのパネルに光が反射することで起きる「光害(ひかりがい)」という問題も起きてしまっています。

メディアとしては、このような事態に発展する前に問題提起するべきでした。

取材で涙を流す、先達山を注視する会の松谷基和さん取材で涙を流す、先達山を注視する会の松谷基和さん

――「なぜ福島県が狙われるのか」という表現が印象的でした。メガソーラー事業者の「福島は美味しい場所」「何をやっても許される」という証言が背景にあるのだと思いますが、「狙われる」という強い表現を選んだ理由について教えてください。

福島の映画館で上映した2025年時点では、「なぜ福島が削られるのか」というテロップになっていました。それを東京での上映から、「狙われるのか」に変更しています。

理由の一つが、猪苗代町で起きた「飛び地メガソーラー」問題を新たに盛り込んだからです。

飛び地メガソーラーとは、国の固定価格買取制度(FIT)の認定を受けた場所にパネル数枚だけを設置し、そこから離れた「飛び地」に大半のパネルを置くという手法です。

猪苗代町のケースではこの手法が問題となり、全国で初めて交付金の認定が取り消され、事業者に対して約6億円の返還命令が出ました。

一部のメガソーラー事業者が福島でこんなことをしている以上、「狙われる」という強い言葉のほうが、問題の実態を伝えるのにふさわしいと判断しました。

もう一つ理由があります。

福島では2040年頃を目処に、県内エネルギー需要の100%以上に相当する量のエネルギーを再生可能エネルギーで生み出す、という目標が掲げられています。

そして、再エネの「旗振り役」となり、この目標を達成することこそが、“福島復興の姿だ”と言われてきました。

しかし、裏を返せば、その目標があったからこそ、事業者にとって福島は「メガソーラー建設がやりやすい場所」「狙いやすい場所」になったと言えます。

このことも問題を複雑にしているのだと思います。

2040年頃を目処にして掲げられた「再エネ導入100%」の目標2040年頃を目処にして掲げられた「再エネ導入100%」の目標

――再生可能エネルギーは今後、どのような方向に向かえば地域や社会にとって良いものになるでしょうか。

まだ、明確な答えは出ていません。そもそもこの映画は、何かの答えを提示するものでも、特定の立場を代弁するものでもなく、まず現状を伝えたいという思いで作りました。

今回の取材で見えてきたことは、やはり地元で暮らす人々の気持ちです。「地域との共生」とよく言われますが、これが本当に担保できているのかという点が、ものすごく大事だと考えています。

太陽光は規模が大きくなればなるほど、軋轢も大きくなるのだと、取材を通してわかりました。

では、どうすればいいのか。

まずは首都圏でよく見かけるような、住宅の屋根の上に太陽光パネルを設置するといった小さな規模から始めていけば、軋轢も生まれにくくなるのではないかと思います。

――電気は人々の命や生活にとって欠かせないインフラですが、メガソーラーの問題は地方で発生しています。7月末から東京でも上映が始まりますが、巨大な電力消費地である都市部など福島県外の人々に、どのように映画を見てほしいですか。

テレビ版を制作した時から、福島県内だけでなく、県外の人たちにも見てもらいたいと考えていました。

かつて、福島の原発で発電した電力は首都圏に送られていました。原発事故後はそれがメガソーラーに代わりましたが、福島で発電された電力が県外の消費地に送られる構図は変わっていません。

今、福島はメガソーラーを巡る新たな問題に直面していますが、果たしてこれは、福島だけが抱え込まなければならない問題なのでしょうか。

震災と原発事故から15年が経ち、福島の現状が全国に伝わりづらくなっていると肌で感じています。しかし、問題はより複雑になっています。

地元メディアとして、”現在地”を丁寧に解きほどき、福島から全国に問いかけることで、答えを一緒に見つけていきたい。そういう思いがあります。

また、福島テレビで映画を作るのは初めての試みでした。映画はテレビとは違い、「この映画を見るために来た」という人がシアターに集まります。

だからこそ、福島の声を一人ひとりの心にどう届けるのかを、一カットごとに考えて制作しました。

地元住民の声など、「言葉」へのテロップをあえて最小限にとどめたのも、そのままの温度で感じてほしかったからです。

そのような思いもぜひ、スクリーンから感じ取ってほしいと思います。

「劇場版 かげる針路」は、7月31日から東京・池袋の「池袋シネマ・ロサ」で始まる。詳しくは映画公式ウェブサイトで。

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