事故から40年を前に公開された日航機墜落事故のアニメ動画520人が犠牲になった日本航空ジャンボ機墜落事故から40年を迎えるのを前に、遺族が事故を伝えるアニメ動画を制作・公開した。
動画を作ったのは、東京都の山本昌由(まさよし)さん。未就学児だった1985年8月12日、出張帰りの父・謙二さん(当時49歳)を墜落事故で亡くした。
昌由さんは、約15年前から事故について発信する活動を続けてきた。父が亡くなった年齢に近づく中、「自分の身にもいつ何が起きるかわからず、活動を断絶させたくない」と考え、事故から40年となる今年、一般社団法人「メモリーリンク1985」を立ち上げた。
若い世代にも事故に関心を持ってほしいとの思いから、生成AIを活用してアニメ動画を制作し、7月にYouTubeで公開した。
約1分間の動画は、事故で親を亡くした女性が子どもたちに、1985年に飛行機事故が発生して多くの人が犠牲になったことや、救助までに長時間を要したこと、そして遺族たちが墜落現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)への慰霊登山を現在も続けていることを説明する内容となっている。
【動画】日航機墜落事故を伝えるアニメ動画
墜落事故の3カ月前に遊園地で撮影した家族写真。右が昌由さん、右から2番目が父の謙二さん遺品に見た父の優しさ
謙二さんは事故当時、大阪の化学会社の役員だった。出張が多かったこともあり、昌由さんには謙二さんと過ごした思い出が少ない。
ただ、週末になると昌由さんら子どもたちを職場に連れて行っては、ジュースを飲ませてくれた。出張のたびに、土産の菓子を家族に持ち帰ってくれたという。
「後ろ姿と優しい表情は記憶に残っています」(昌由さん)
事故後の「お別れ会」の会場で、昌由さんは謙二さんの遺品のカバンを見つけた。カバンには、焼け焦げた餅菓子のようなものがこびりついていた。
事故に遭ったあの日も、謙二さんはいつものように家族に土産を買って帰ろうとしていた。
(右から)山本昌由さん、謙二さん、康正さん「なんで登るのか」抱いた危機感
昌由さんは15年ほど前から、遺族たちでつくる団体「8・12連絡会」に参加して会のウェブサイトを作成したり、弟・康正さんの提案で、墜落現場までの登山道を撮影してストリートビューとして公開したりと、事故について発信する活動を続けてきた。
活動のきっかけは、当時の職場の若い後輩が口にしたひと言だった。日航機墜落事故を振り返るニュースが放送されたとき、昌由さんも慰霊登山を毎年続けていることを話すと、その後輩は「なんで登るのか、よく分からない」と返したという。
墜落した機体は、事故の7年前に「尻もち事故」を起こし、後部圧力隔壁が損傷していた。国の事故調査委員会は報告書で、メーカーの米ボーイング社によって後部圧力隔壁の不適切な修理が行われたことを事故原因として推定している。
事故で多数の命が突然奪われ、家族を失った人たちが苦しんだ事実を伝えていかなければ、いつか同じ被害が繰り返されてしまうのではないか。そう危機感を抱き、昌由さんは事故について伝える取り組みを始めた。
事故から40年が経ち、当時を知る人は減り続けている。高齢になり慰霊登山を断念する遺族もいる。昌由さんは、「人々の安全に関わる仕事をする人や事故を知らない次の世代にも、アニメ動画を通じて飛行機事故のことを知り、安全について考えてもらいたい」と呼びかけている。
今後は希望する遺族から写真を募って映像を制作するなど、事故に関する動画を増やしていくつもりだ。
慰霊登山をする山本昌由さん【動画】日航機墜落事故を伝えるアニメ動画
【あわせて読みたい】日航ジャンボ機墜落から40年。航空史上最悪の事故を、写真で振り返る

