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第2回シンポジウム「一橋大学アウティング事件 裁判経過報告と共に考える集い ー大学への問いかけ」第2回シンポジウム「一橋大学アウティング事件 裁判経過報告と共に考える集い ー大学への問いかけ」

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一橋大学アウティング事件で亡くなった学生のご家族との出会いを振り返ります。 

事件についての報道があった1年後、東京レインボーウィーク期間中の2017年5月5日午後に、明治大学で「一橋大学アウティング事件 裁判経過の報告と共に考える集い」というシンポジウムが開催され、参加しました。

会場は、駿河台キャンパスのリバティタワー1階にある大きな教室でしたが、200席ほどある椅子が満杯で、たくさんの立ち見の人が通路を埋めていました。想像以上の熱気で、3時間をこえる内容を会場中の人たちが見守るように聞き入り、事件への関心の高さが窺えました。 

シンポジウムは、一橋大学の対応やアウティングをした同級生の主張など、私自身も初めて詳細に聞いたことも多く、その中には信じられないような内容も含まれており、空気が薄い会場のせいか、時折、呆然としてしまうこともありました。

ご家族からのビデオメッセージも紹介され、会場ではあちこちで涙をすする音が聞こえていました。

第2回シンポジウムの様子より第2回シンポジウムの様子より

また、基調講演で自身のアウティング被害について共有した鈴木賢さん、憲法学者の木村草太さん、多数の当事者からの相談を受けてきた原ミナ汰さん、広島大学のハラスメント相談室室長の横山美栄子さんらのパネルディスカッションは、学びも多く、考えさせられるものでした。

特に、木村草太さんのご指摘が印象的でした。司法試験の合格率は、一橋大学法科大学院でさえ50%を切るという非常に過酷な環境下では、相手に対する配慮や思いやりを持つことが難しい。あえて、高いストレスを抱えた学生を20〜30名程度の小規模なクラス単位に閉じ込め、負荷をかけていること自体が、異常な教育環境であるということ。

9人が入るLINEグループでアウティングがあったあと、他の同級生たちが80分間ずっと既読スルーだったこと。その後、周囲の人が加害者の行為をとがめなかったことは、ロースクールという独特な環境による影響も大きかったのかもしれないと。もちろん、それがアウティングという行為自体を肯定するものではないのですが。

東京レインボーウィーク中のイベントとイベントの合間を縫って、このシンポジウムに参加することができて本当に良かったと思いました。終了後、企画された南和行弁護士にメッセージを送り、感謝の意と自分にできることがあればお手伝いしたい旨をお伝えしました。それが、翌年の第2回シンポジウムへのお声がけに繋がったのかもしれません。

2018年6月25日、ご家族とアウティングをした同級生の間で和解が1月15日付けにて成立したこと。一橋大学との間では和解が成立せず、7月25日に証人尋問が行われることを、ネット上での発表で知りました。

第2回シンポジウムは、その証人尋問の直前である7月16日に、「一橋大学アウティング事件 裁判経過報告と共に考える集い ー大学への問いかけ」というタイトルのもとで開催されました。

当日は、『カミングアウト』という書籍を出版されたばかりの砂川秀樹さん、企業や大学のLGBTQ+研修を多く担当する五十嵐ゆりさんとともに登壇し、ひとりずつ「一橋大学アウティング事件で変わった自分の人生」をテーマにスピーチをしました。

第2回シンポジウムで「一橋大学アウティング事件で変わった自分の人生」をテーマにスピーチする筆者第2回シンポジウムで「一橋大学アウティング事件で変わった自分の人生」をテーマにスピーチする筆者

普段は、いただいたテーマに沿って、その場で感じていることを思いつくままに話すことが多い私ですが、自分が事件に対して感じたこと、事件を機に考えたこと、今後取り組んでいきたいことを、丁寧に伝えたいと思い、原稿を準備してお話しました。それでも、途中で感情がたかぶり、何度か言葉に詰まってしまいました(後に、この原稿をもとに、ハフポストに寄稿しました)。 

イベント終了後、複数の方々から話しかけられました。

レズビアンの当事者だという若い方からは、「自分が言葉にできなかった感情を紐解いてくれてありがとうございます」と御礼をいただき、実は、自分自身も、今回のスピーチが気持ちや考えを整理するきっかけになったということをお伝えしました。

「同じ一橋大学の卒業生なんです」とご挨拶をいただいたのは、シンポジウムを主催する「アウティング事件裁判を支援する会」を立ち上げられた川口遼さんでした。のちに一橋大学卒業生を中心に設立した「プライドブリッジ」を、LGBT法連合会の神谷悠一さんと一緒に立ち上げることになる方です。

そして、帰り際に呼び止めてくださったのは、体格のいい50代後半くらいの方でした。

「ゴンさん、今日はありがとうございました。はじめまして、亡くなった学生の父親です」

父から見た息子は責任感が強く、アウティング被害を自分で訴えようとしていた

お父さんとは、シンポジウム会場では長く話すことができませんでしたが、東京に出張や用事がある時には、ちょくちょく声をかけていただきました。

とても気さくで、いつも愛嬌たっぷり。新橋の焼き鳥屋などでお会いするなり、ご家族のこと、お仕事のこと、世の中の動きや政治のことなど、ノンアルコールで次々と語ってくださり、私は毎回レモンサワーを片手に聞き手役となっていました。 

何かを報告する時も、相談する時も、窓口はすべてお父さんでした。2019年1月末にBuzzfeedを通じて、子どもが生まれて私を含めた3人が親になったことをオープンにした時は、「ニュース見ましたよ!」と真っ先にお祝いの絵文字付きメッセージをくださいました。 

大切な命を失ったご家族に、新しい命が誕生したことをどのように報告するのが良いだろうと考えあぐねている時だったので、とてもほっとしたことを覚えています。「嬉しいお知らせなんだし、気にしなくていいよ」と優しく声をかけてくださっているようでした。

そんなお父さんと、じっくりと息子さんのことについてお話したのは、東京地裁判決と「プライドブリッジ」設立を受けて、名古屋の実家を初めて訪れた時でした。2019年5月末のことです。

「とにかく、息子は真面目で、正義感が強いやつだったなと思います」

2階にある彼の部屋の本棚に並んでいる法律関係の書籍は、東京から持ち帰った当時はたくさん付箋がついていたり、ページの角が折られていたりしたそうです。

お父さんに促されて、本棚から手にとった書籍のページの幾つかには、重要だと思われる文章にペンで線が引かれていました。

アウティング事件が起きた後、法律を学ぶ立場の人として、不合理性や暴力性、プライバシーの侵害などについて、自分自身で情報を整理し、相手の同級生や大学のハラスメント相談担当に対して論理的に説明できるように準備をしていたのではないか、とのことでした。

実際に、亡くなる1カ月前に彼が2泊3日で名古屋に帰省した時には、「親友に裏切られた」「ひき逃げに遭ったようなもの。自分でなんとかする」と語り、大学の相談窓口にも「自分で訴える」と言っていたそうです。

ご両親と妹さんが下宿の遺品整理に行った際に開いたパソコンのデスクトップ上には、「今回」という名前のフォルダがあり、中には関係資料のデータがきちんと整えられていて、一橋大学側からは守秘義務があるから伝えられないと言われていた事件の全貌を、そのフォルダに残されたデータを通じてご家族が初めて知ることとなったのでした。

※第3話は8月26日に掲載予定です。

(編集:笹川かおり)

『一橋大学アウティング事件がつむいだ変化と希望 一〇年の軌跡』編著:松中権(サウザンブックス社)『一橋大学アウティング事件がつむいだ変化と希望 一〇年の軌跡』編著:松中権(サウザンブックス社)

一橋大学アウティング事件がつむいだ変化と希望 一〇年の軌跡』(編著:松中権/サウザンブックス社)を彼の命日の8月24日に出版しました。LGBTQ+活動団体代表、大学教員、ジェンダー/セクシュアリティ研究者、市民団体職員、ライター、新聞記者など、8名の著者がそれぞれの視点で綴った10年の歴史と変化と希望、次世代へのメッセージを1冊にまとめました。 

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