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皇居内生物学研究所脇の水田において、お稲刈り2025年9月9日皇居内生物学研究所脇の水田において、お稲刈り2025年9月9日

天皇陛下は9月9日、皇居にある田んぼで稲刈りをしました。

天皇陛下による稲刈りは、毎年恒例の行事。 陛下自ら、もみから育てた苗を5月頃に水田に植え、9月頃に刈り取ります。

昭和天皇が即位直後に始め、代替わり後も続けられています。

今回陛下が収穫したのは、うるち米の「ニホンマサリ」と、もち米の「マンゲツモチ」。

初めてこれらの名前を聞かれる人もいるのではないでしょうか?

様々な品種を育てていた昭和時代

皇居で稲の水耕栽培をはじめた昭和天皇は、その理由を稲の品種の遺伝特性の研究や農業奨励などのためとしていました。

過去の朝日新聞によると、下記のように年によって違う品種を育てており、「コシヒカリ」も植えられていたことがわかります。

1927年:神力、愛国、亀の尾

1954年:農林1号、農林17号

1955年:太郎兵衛モチ、アイマサリ

1964年:埼玉10号、マンゲツモチ

1971年:コシヒカリ、他

1973年:埼玉10号、ナオザネモチ、コシヒカリ

1976年:ナオザネモチ、ニホンマサリ

1978年:埼玉10号、ニホンマサリ

1979年:喜寿、ニホンマサリ

1984年:マンゲツモチ、ニホンマサリ

1997年:平成1〜8号、他

1998年:マンゲツモチ、ニホンマサリ

マンゲツモチ、ニホンマサリ、どんな米?

ニホンマサリ」は、1973年に農事試験場(現農研機構)で育成された品種。当時、幅広く作付されていた「日本晴」という品種に比べて早く収穫できることや、多収および耐病性を兼ね備えた、非常に難点の少ない良質・多収品種と考えられていました。現在は一般の作付けはほとんどありません

一方のもち米の「マンゲツモチ」を植えたのは、この品種が開発された1960年代のことです。かつて植えていた埼玉10と比べて倒れにくく、病気にも強いことが特徴。粘りが強く、冷めても美味しいとされ、茨城県などで多く栽培されています。

皇居内の水田、「要るの?」と言われたことも

様々な品種を植えていた昭和天皇の時代ですが、皇室経済からみて、皇居内における水田の必要性が疑問視されたことがあったと、国会議事録に残っています。

1956年、食糧不足ではないので食糧増産という意味はないし、農民の労苦をしのばれるということもそれほど意味はないのではと指摘された宮内庁次長(当時)の瓜生順良氏は、皇居内の稲作を私的な行事としたうえで、次のように答えています。

天皇みずから食糧の増産に関心をお持ちになって古くからおやりになっております。

その行事は食糧増産に直接それでお役に立つというものではありませんかもしれません。

しかしながら、陛下のお気持として、この食糧の増産についての、国民生活においては食糧は非常に大切な問題である、特に昔は農業が産業の主たる部分でありましたから、単に食糧というよりも、産業という面に大きく関心を持たれるということでそうした行事をあそばしておられたと思うのでありますが、それを引き続きまたおやりになりたいお気持をお持ちになっておる、そのこと自体がまた私は無視すべきではないと思うのであります。

それによって産業に強く関心を持たれる。

で、国民の活動の重要な部分がやはり産業活動である。その国民の総意に基いて、その象徴とされて、そうした部分に強い関心を持って以前からやっておったことであるが、大いに意義のあることであるということは、やはり今後引き続いておやりになるということは反対すべきではないと、こう思っておるのであります。

最近は、「マンゲツモチ」と「ニホンマサリ」を植えることが続いています。

一方で、昭和天皇の時代は、田植えから始まりましたが、上皇さまが引き継いだ後は、もみをまくところからに変わるなど、変化する部分も見られます。

2020年に、もみまきから稲刈りまでの一連の流れを体験した天皇陛下は、次のように述べています。

「本年、種籾(たねもみ)まき、田植え、そして稲刈りまでの一連の作業を初めて経験することによって、我が国の農耕文化の中心である稲作への思いをより深めることができました」

収穫したコメは、新嘗祭など宮中の祭祀(さいし)に使われる予定です。

【地図】皇居内の水田はここにある

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