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「復興」という言葉では、語りきれないものもある。

福島県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」で3月22日、被災や復興について語り合うイベント「対話福島」が開かれた。

進行役を務めたのは、同館の開沼博上級研究員(東京大学大学院准教授)。ゲストには、2025年に小説「ゲーテはすべてを言った」で芥川賞を受賞した作家・鈴木結生さんが招かれた。

福島県郡山市で幼少期を過ごした鈴木さんは、県内など各地から集まった参加者とともに現地を歩き、言葉を交わした。

いまの福島をどう見たのか。参加者と何を語り、何を感じたのか。対話から見えてきたものは何かーー。

2025年に小説「ゲーテはすべてを言った」で芥川賞を受賞した作家・鈴木結生さん2025年に小説「ゲーテはすべてを言った」で芥川賞を受賞した作家・鈴木結生さん

「被害の境界線の部分は全然なんですよ」

「今の小高に不満というか。なにか手がかりがほしくて」

この日の対話は、福島県南相馬市小高区にUターンした男性の「叫び」から始まった。

小高区は2016年7月、一部を除いて避難指示が解除された地域だ。男性はこの10年を次のように振り返った。

「小高はコンパクトながらまとまった街です。城下町で大通りがあり、先人たちが残してくれたレガシーを感じる場所。ただそれが生かされてない。街が劣化しているように感じます」

「原発事故はコミュニティの崩壊を生みました。『穴が開いたから塞げばいい』みたいな感覚ではなく、復興のビジョンがほしいです」 

東京電力福島第一原発で廃炉作業に従事する福島県大熊町の男性も続いた。

「南相馬の人が昔、『向こう(大熊町)は羨ましいよね。小高は発展から取り残されている』と言っていました。復興が進んでいるのは最も被害が大きかった地域で、『被害の境界線』にある地域は全然なんですよ、と」

こうした声に対し、鈴木さんは静かに頷きながら応じた。イベントに先立ち、開沼上級研究員らと共に双葉郡を車で巡ったという。

いわゆる被害の中心は手厚くされていて、境界部分は溝になっていると。なんとなく想像できます。明らかに『街が変わる瞬間』があると感じました。震災前は街と街との境界はあれだけはっきりしていたのだろうかと」

その実感は、イベント冒頭の言葉とも重なる。

「雰囲気の違いというか、同じように『復興』という一つの言葉ではくくれない何かがそこにあるなと。やっぱり復興と言いたいところですが、何もない場所があることは確か」

「そこに創造的な余白を見出す人もいれば、それまでそこにあったものの残像みたいなものを消すことができない人もいる。福島には、いろいろな人がいるということを改めて教えられました」

前半は車座になって語り合った前半は車座になって語り合った

「そこには確かに人の営みがあった」

前半の対話を終え、一行は伝承館を出た。

津波で大きく変形した消防車の横を通り、開業前のホテル「FUTATABI FUTABA FUKUSHIMA リトリート型ホテル」の前を過ぎる。

さらに進むと、1階部分が津波で失われた建物が現れた。二階部分が崩れ落ちないよう鉄骨で支えられている。

整備が進む場所と、時間が止まったままの場所が、同じ風景の中に並んでいた。

神社のそばにある休憩所で温かいお茶を飲んだ後、一行は再び歩き出す。浜街道方面へ向かい、道路を越え、堤防を登ると、視界いっぱいに太平洋が広がった。

そのまま南に進むと、かつての賑わいを支えた「マリンハウスふたば」が姿を現す。

三角形の形が特徴的な3階建ての海の家。帰還困難区域にあるため、手付かずの状態で残されている。壁にかけられた時計は、津波が到達した時間とみられる3時36分頃を指したまま止まっていた。

「子どもを連れてきたなあ」「当時は海の家という程度の認識だったけど、こうして見ると三角形が特徴的な良い建物だ」「砂浜が広くて自慢の海水浴だった」「ここまで津波が来たんだ」ーー。

堤防の上で、参加者たちはそれぞれの記憶を言葉にした。

足元には、「ここから帰還困難区域につき立ち入り禁止」という表示があった。奥には原発事故の除染で出た土を保管する中間貯蔵施設が広がっている。

この土は2045年3月までに福島県外で最終処分することが法律で定められている。しかし、受け入れ先の見通しはまだ立っていない。

かつて、この場所には約2000人が暮らしていた。

「このあたりは“もともと更地だった”と思われがちですが、そこには確かに人の営みがあった。県外最終処分の議論をするときは、このようなことも想像してほしいと思います」

参加者の一人が記者にこう話した。

参加者らと積極的に対話を重ねた鈴木結生さん参加者らと積極的に対話を重ねた鈴木結生さん

「叫び」に寄り添うのが文学の役割

一行は再び伝承館へと戻る。その道すがら、鈴木さんは参加者の小学6年生の言葉に熱心に耳を傾けていた。

記者も鈴木さんに尋ねてみた。

復興とは何か。新しいものを建てることなのか、それとも失われたものを残すことなのか。あるいは、その両方なのか――。

鈴木さんは少し考えた後、このように言葉を紡いだ。

「もろく周りのものが崩れて、どんどん変わっていく風景を子どもの時に見たからこそ変わらない何かというか……。そういう意味では当時の大人が元通りにしないといけないとか、上書きしたとしても直したいとか、ある程度距離を置いて見てしまうんですが」

「なんだかんだ新しいものが建ったほうが多くの人は良いと思ったり、それに対して不満を持っている人とか、こういう場所に来て吐き出して、先を歩んでいかないといけないというのが現実なのかもしれないけど、叫びみたいなものに寄り添うのが文学の役割であってほしいと思う」

「現実はスクラップ・アンド・ビルドで、震災前も同じようなことだったのかもしれないけど、ただ特異な状況下でスクラップの部分が激しかったり、ビルドの部分が激しかったりしたら、それが自然に捉えられないだけで。個人的心情で言えば、あちら(マリンハウスふたば)を見た時は胸に迫るものがあった」

そして、今回の体験をこう振り返った。

「今日の機会は非常に良かったです。自分の中で作っていたものが、当時としては本当だったけど、いろいろな人と会話する中で崩されたり、自分の中で変更を加えたりしたことがあった。全て復興や回復の物語に還元されるものだと、私は福島というものに向き合うこともできないかなと思っています」

「マリンハウスふたば」。時計の針は3時36分頃を示したまま止まっている「マリンハウスふたば」。時計の針は3時36分頃を示したまま止まっている

「あ」と言ったら「あ」が出てくるようなことではない

伝承館に帰ってきた一行は、それぞれの言葉でこの日の体験を振り返った。

小高区の現状に不満があると話していた男性は、「いろいろな人たちと話してものすごく良かった。モヤモヤ感も吹っ飛びました」と表情を和らげながら話した。

一方、廃炉作業に従事する男性は、改めて地域の課題に目を向けていた。物理的な復興というよりは、人と人との関係性に関する話だった。

「もとから住んでいて帰還した人と、新しく入ってきた移住者との間で、なかなかコミュニケーションが取れない。もとから住んでいた人はこれまで残してきたものがあり、新しく入ってきた人は新しく持ち込んだものを根付かせたい。その間をどう話しながら埋めていくのかは難しいと感じました」

ただ、男性が住む大熊町では「うまくいっている」という。

「地元住民と移住者が一緒にイベントを開いたり、意見を聞いたり、やはり移住者側から地元に溶け込んでいくという方向が大事なのかなと感じました」

これらの感想を受けて、開沼上級研究員は「鈴木さんが昨日、ジャムかサラダかという話をしました」と語り始めた。

「ぐちゃぐちゃに混ざった状態や、混ざりながらもそれぞれが輝いている状態がある。福島の話は一つのものとして『ジャム』的に理解しようとすることがありますが、『サラダ』的なものを一つ一つ拾っていくことも重要」

その上で、「問題だらけな部分もあるし、一方で新しい芽が輝くようなものもある。それぞれを見ていくことの大切さを改めて意識しました」と述べた。

最後に、鈴木さんが「対話」を締め括った。

「文学って、対話性とか他者性が大事だとよく言いますが、文学者は対話も他者性も全然できていないのではと思う時があって。こうやってまさに他者として生きてきた皆さんと出会い、対話をする。僕がいつもデスクトップでやってることとは違って、『あ』と言ったら『あ』が出てくるようなことではない」

そして、こう続けた。

「常にこの時間が自分の肉体の中にあるということは、これから福島について書くにせよ、他のものについて書くにせよ、重要な時間になりました。また来たいと思います」 

伝承館周辺を歩いて回った参加者ら伝承館周辺を歩いて回った参加者ら

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