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若者に人気のアプリ「BeReal」を経由しての情報流出などが、銀行や学校、店舗などで相次いでいます。『スマホを見てただけなのに! 13歳から知っておきたい情報社会のかしこい生き抜き方』の著者、鈴木雄也さんが解説します。

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相次ぐ「BeReal」関連のトラブル。企業の管理職や、教育現場の方から見れば、「なぜこんなことをするのか」と首をかしげたくなるかもしれません。ですが、そこで単に「最近の若者は」と片づけてしまうと、再発を防ぐ手がかりを失います。従来の「目立ちたい」「バズりたい」型とは少し違う、むしろコミュニケーションに誠実であろうとする姿勢の中に、問題の根っこがあるからです。

これまでのSNSとは一線を画す「特殊性」

「BeReal」の設計は独特です。毎日ランダムな時間に通知が届き、2分以内に投稿する。前面と背面のカメラで自分と周囲を同時に写す。しかも、自分が投稿しないと友達の投稿を十分には見られません。

こうした仕組みはユーザーにアプリを開かせ、日々の利用習慣をつくるとも言えます。また時間通りに投稿した人に追加投稿の機会を与える「ボーナス」もあり、継続的な参加を促すつくりになっています。

この「盛らないSNS」が若い世代に浸透した背景には、これまでの「盛るSNS」への忌避感があるようです。「映える」自分を見せる必要がある空間では、絶えずフォロワーから品定めされているようなプレッシャーに苛まれたり、自分と他人と比べて落ち込んでしまったりします。そんな「SNS疲れ」に悩んだ若者たちが、新しい居場所として目をつけたのがBeRealでした。

そこで重視されるのは、オフィシャルな場に着飾っていくような「盛った自分」ではなく、「いま、ここにいるありのままの自分」を返すこと。ここでは散らかった日常の光景や、むしろ疲れきった自分の姿を、嘘偽りなく、仲間内で見せ合うことに価値がある。つまり、ある意味で「誠実な気持ち」が、悪意のない投稿を後押しする構造があります。

その誠実さが、閉じた空間で反響しあっている

ところが、その誠実さが向けられている相手は、あくまで「その場の友達」です。職場の顧客でも、会社でも、社会全体でもない。だからこそ、閉じた空間では自然に見える投稿が、複製され、公開範囲外にまで拡散してしまったとき、外の社会では重大な逸脱になってしまいます。

現代人は、複数のアカウントを使い分け、複数のコミュニティを持ち、複数の自分を生きています。それ自体は悪いことではなく、むしろ多様な情報に触れる機会を持てるという観点からもメリットがあります。

問題は、そのうちの一つの空間に深く入り込みすぎたときです。そこで求められるノリ、そこで通用するリアル、そこで喜ばれる投稿ばかりを浴び続けると、その場の「正解」がまるで世界の標準のように見えてくる。閉じたコミュニティの中で価値観が反響し合い、外側の視点が入りにくくなる…いわゆるエコーチェンバーです。

似た感覚どうしが共鳴し続けることで、異なる立場の人がどう受け取るかが見えにくくなるエコーチェンバーによって、友達の前では「ちゃんとした投稿」のように思えても、社会全体から見れば「してはいけない投稿」になってしまうのです。

その場だけにどっぷり浸かる「情報偏食」のリスク

私は以前から、情報との付き合い方を「食事」にたとえて考えてきました。同じ味付けのものばかり食べ続ければ、本人は心地よくても栄養は偏るのと同じように、同じ情報ばかり触れていると、考え方や意識がどうしても偏ってしまったり、メンタル不調を来したりします。

その意味で今回のBeRealの問題は、その「情報偏食」のリスクが、いよいよ顕在化してきた現象と言えます。同じノリ、同じ感覚、同じコミュニティの“正解”ばかりを摂取し続ければ、判断のバランスが少しずつ崩れていくことになるわけです。

拙著『スマホを見てただけなのに! 13歳から知っておきたい情報社会のかしこい生き抜き方』の中で、情報発信は「料理」に似ていると書きました。本来、発信するときには、火加減や味付けを考え、誰が食べるのかを想像する必要があります。

ただ今回のケースでは、当事者たちもまた「食べる相手」を想像していないわけではない。問題は、その食卓があまりにも小さく、閉じていることです。同じ空間にいる友達に向けては“ちょうどいい料理”でも、別の立場の人が口にすれば危険なものになりうる。このように「どんな食卓に出す料理か」「その料理を食べる可能性があるのはどんな人か」といった想像が抜け落ちるとき、悪意のない投稿は簡単に一線を越えてしまいます。

情報発信は料理――どんな食卓に出すか

では、どうすればいいのでしょうか。

まずマネジメント層や大人に必要なのは、若者を「非常識」と断じる前に、なぜそのような情報環境を若者が積極的に求めているかを知ることです。

SNSネイティブ世代にとって、スマホを開ければ目に飛び込んでくるのは「着飾った世界」ばかり。そんな「キラキラした世界」と、目の前の「ありのままの世界」の断絶はあまりに大きかったに違いありません。そこへ迎合し、近づこうとするよりも、ありのままの飾らない世界で、数少ないリアルな(と感じられる)仲間とつながり続けたくなるのも無理はありません。

そう考えると、単に「撮るな」と禁じるのは、彼らにとっては「仲間への誠実さを捨てろ」と言われているのに等しい。そのため、「どこなら安全に投稿できるか」「どこから先は絶対に写してはいけないか」といった境界線を、マネジメント層や大人の側が、空間設計やルールの言葉で具体的に示すことが必要かもしれません。

一方で、当事者世代に必要なのは、BeRealで求められる正解と、社会を生きていく上での正解は違うことがある、と知ることです。ごく当たり前なようですが、これが「情報偏食」に陥り、エコーチェンバーな状態に染まってしまうと、ついうっかり一線を超えやすくなります。

現に、銀行員や教職員のような、社会通念的に信頼に足る人物とみなされそうな人までこの罠にはまってしまっていることからも、他人事ではないと感じられるのではないでしょうか。

これからの時代は、「身近な正解」と「遠くの正解」が重なるところを見出せる人こそが、スマホを使いこなし、情報社会を力強く歩める人になれます。つまり、閉じた空間では“いい投稿”でも、別の食卓では出してはいけない料理かもしれない。そんな想像力を、子どもの頃に学んだ「食育」になぞらえて「情報の食育」として育て直すことができれば、これからの時代の新しい情報感覚を身につけられるはずです。

鈴木 雄也:1989年生まれ。岐阜県出身。情報的健康プロジェクトメンバー兼慶應義塾大学 X Dignityセンター連携所員。横浜国立大学卒業後、地方テレビ局の報道記者や営業担当として約10年間にわたり取材・制作・営業に従事。その後、外資系ウェブメディア、新聞社と、メディア業界の現場を横断的に経験。2022年より情報社会とリテラシーに関する研究・発信をライフワークとし、「情報的健康プロジェクト」に参画。慶應義塾大学・山本龍彦教授らとともに共同提言を執筆。情報社会における“情報的健康”の重要性について発信している。

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